まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.1797 しまなみの旅2022年(6)・・・ゆめしま、前編

2022-07-31 06:34:44 | 瀬戸内
よろしくお願いします。


















しまなみの旅2日目は生口島からフェリーで岩城島洲江港へとやって来ました、フェリー航行は昼間でも割と本数はあるのですが、ゆめしま巡りのサイクリストや帰省の家族連れ、商店に商品を運搬する車やバイクで甲板は結構埋まっていました。岩城島に下り立つのはこれが3度目、これまでは因島からフェリーで長江港へと下り立ち、そこから島の外周道路を右回りで巡って洲江港まで走りました、今回はそのコースを逆向きに走ります。まずはまっすぐに伸びる上り坂、T字の交差点を右へと曲がり外周道路を左回りで進んで行く。田園風景、集落、海沿いと次々に変わる風景、やがて海沿いの道を外れて住宅地の急な上り坂を越えるとこの島の中心地となる岩城の町並へと差し掛かって来ます。


















今治への高速船が到着する港へとたどり着きました、いわばここが岩城島の玄関口となる所でしょう。港の手前にある観光センターはたくさんの人で賑わっているかのよう、車やバスが駐車場にたくさん停まっていたので結構観光目当てでこの島に訪れている人も多いみたい。でもやはり観光のメインになっているのはサイクリングの方、町役場の垂れ幕にもあるように岩城橋が開通して・・・この日が5月3日だからほんの1か月少し前のこと・・・4つの島がひとつにつながった。それに合わせてしまなみ海道のオプションと言った感じでサイクリングコースも整備された、自転車でやって来た人も自分(一人称)もその目論見に見事に乗せられてこの島にやって来たわけか。後は岩城島と生口島、因島と弓削島がつながって1本の道になってくれたらもっと世界が広がるんやけどなあ~、ただ橋がつながるとフェリーがなくなってしまう、それはそれで寂しい話なのですが・・・。
















岩城の中心部から町中の狭い道を抜けて行くといよいよ新しい橋へと至る上り坂に差し掛かってくる。これくらいの上りならまあ余裕ですわ、途中で悪戦苦闘している女の子の二人組を追い抜いて、いよいよ岩城橋へと立ち向かうがこれがまたまたゼットン並みの難敵。昨日生口島大橋から見た感じでは簡単に渡れそうやな~、という感じだったが、橋は真ん中が高くなっていてそこまでの上りが結構きつそう、道幅が狭く後ろから車で煽られたら怖いな~、と思いながら一番最高部へとたどり着く。ここからの眺めはもちろん最高、ただその高さにはちょっと足がすくんでしまう、写真を3枚ほど撮って一気の下りへと向かう。橋を渡り終えると生名島、難敵は終わったかと思ったらまたまたきつい上り坂が待ち構えている、これは骨が折れるわ~、と思っているとさっき上り坂で追い抜いた女の子の二人組がやって来た、彼女たちもなかなかの猛者みたいだ。その辺りの下りについては次回、ゆめしま後編でお送りするとしましょうか、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.1796 田原本町、桜井市の条里水田

2022-07-27 09:39:20 | 吉野川分水
よろしくお願いします。


















今回はカテゴリーが吉野川分水となっていますが吉野川分水とはほとんど関係なし、取り上げるのは桜井市、田原本町の大和川に近い所にある水田です。何や~、水田やったら日本各地にあるやんか~、と思われそうですが、今回取り上げるのは一面に規則正しく区画された条里水田、その歴史はかなり古いものです。
田原本町のホームページでは、町の歴史の項で↓↓↓

「本町は、歴史の国、大和の中でもっとも早くから開けたところで、弥生時代の大遺跡「唐古・鍵遺跡」など数多くの文化遺産が残っています。水田は、古代から条里制が整備され、中世には、東大寺や興福寺などの荘園が設けられました。」

と記されています。一方、農林水産省の農村振興のページからたどって行くと、「古代の耕地整理が現代に生きている条里水田」としてこの地域の水田が取り上げられています↓↓↓

「水田が約108m四方に碁盤の目状に整然と区切られ、その内側を6等分して36坪に分けられている古代の耕地整理の跡で、奈良時代から中世(平安~鎌倉)にかけて整備されました。春は麦田、秋は稲田として収穫を迎える頃は黄金色の風景を呈し、大和の条里水田の典型的な景観をみせています。」

どちらの文章にも古代からあったものと言うことを強調されています。奈良盆地にある各地の町、村は条里制で区切られていて、今でも地名には○○群○○町大字○○小字○○で呼称されている所が多い、それに合わせてかどうかは分かりませんが、田畑もキッチリと区分することで場所による差別化をなくそうとしたのでしょうか。そうなるといかにも奈良県らしい、几帳面と言うか細かいと言うか・・・、まああくまでも自分(一人称)の想像の域の話に過ぎませんけどね。



















1番目のゾーンの写真は昨年の6月に巡った時のもの、2番目、3番目のゾーンは昨年の9月のもの、もう十分過去旅になってしまっています。吉野川分水関連で初瀬川工区を取り上げた際にお送りしようと思っていたのですが、その本編がまだ北葛城工区に入ったばかり、初瀬川工区まではまだ時間がかかりそうなので今回のお送りとしました。場所は大和川が蛇行する田原本町と桜井市の境界線の辺り、奈良からだと中ツ道が通っているが、この辺りでその道は水田に邪魔されて消えてしまい迂回しなければならない所。集落を抜けると展望が開け一面に広がる田園風景、地上からでも四角に区画されているのが分かる緑の水田が見渡すことができる。


3番目のゾーンでは主に地図で見ると大和川の右側に当たる桜井市の風景をお送りしています。こちら側には素朴な環濠集落がいくつかあって、それらをつなぐかのようにしてこちらも四角に区画された水田が広がっている。大和川に近い所で小さな水路が集落内を迷路のようになっていて、澄んだ水が小気味よい音で流れている、その辺りは以前桜井市の集落巡りでここで取り上げたことがありました。特に何か変わったものがあるとか見所や名所があると言うわけではないが、この集落と緑が光り輝く・・・と言っても今回並べた写真は6月も9月も雨模様の時、それはそれでまた乙哉・・・水田が走りの疲れを安らげてくれます↓↓↓













さて、夏の甲子園も各地で予選が行われていて代表校も次々と決まってきています、今年は中京大中京や広陵、作新学院と言った甲子園の常連校が早々に敗退、出場校の顔ぶれも相当変わって来そうです。そんな中でわが地元奈良県もいよいよ決勝、準決勝第1試合は天理が高田商に昨年夏の雪辱を果たし順調に決勝進出、そして第2試合の智辯学園vs生駒、春の大会では生駒がジャイアントキリング、まあ甲子園がかかった夏はさすがに智辯学園だろう・・・と思いきや、またまた山が動きました。生駒が春に続いて昨年夏の甲子園準優勝校を撃破、奈良県予選で初めての決勝進出となりました。正直言って春はフロックだと思っていたのですが、まさか夏までとなると今年の生駒が余程すごいのか、智辯学園が最弱なのか・・・、そんなわけで決勝は天理vs生駒、生駒にとってはあまりにも高い壁ですが、何とか頑張ってほしいところです。と言ってもやっぱり天理かな~、で甲子園に出て弱い者いじめでひとつ勝って、次に強いところと当たって終わりといつものクオリティになりそうな・・・、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.1795 全然楽しくない神社巡り・・・斑鳩町編

2022-07-25 10:24:20 | 文化財
よろしくお願いします。











【53】斑鳩神社(斑鳩町法隆寺北1丁目) 祭神・・・菅原道真






【54】龍田神社(斑鳩町龍田) 祭神・・・天御柱大神、国御柱大神

神社巡りシリーズ、今回は斑鳩町とその周辺にある神社を巡って行きたいと思います。まずは割と大きな神社を2か所、【53】は地名通り法隆寺の北側、斑鳩ため池の前にあって静かにたたずんでいる神社、天満宮とあるので菅原道真を祀っていると言うのは、神社巡りをしていてもうすぐに分かるようになりました。一方の【54】は法隆寺の西側にあってこれも割と大きな神社、こことは別に三郷町にもよく似た名前の龍田大社・・・以前万葉歌碑巡りで来訪・・・があって、一時期自分(一人称)もこんがらがっていた時があったが、こちらは大社から祭神の勧進があった神社となっているから二社の間には関りはあるようです。





【55】厳島神社(斑鳩町阿波3丁目) 祭神・・・市寸島比売命








【56】春日神社(斑鳩町目安2丁目) 祭神・・・経津主命





【57】御霊神社(安堵町笠目) 祭神・・・津速彦霊命 

2番目のゾーンでは3つの神社を取り上げますが、どれも地元に溶け込んだ感じの小さな神社、お宮さんってな感じで子供の遊び場になっているようです。【57】は斑鳩町から河合町に向かう時にいつも通る道にある神社で、トイレもあるのでよく利用する所。祭神は津速彦霊命としているのですが、神社の入口に掲げられた由緒書きの看板には不明と書かれている。結局この辺りが精神世界の弱点という感じがするんだよなあ、形のないものには言ってしまえば勝ち、って言うか・・・、先に挙げた菅原道真も各地で祀られているが、どれだけ精神を切り売りされているんか、って思ってしまう、魂は唯一無事ではないんだよなあ。だから自分(一人称)は神も仏も宗教も信仰も信じないことにしてるんですよね。そういう割に宗教に畏れがあると言うのも変な話なんですが、神社巡りはあくまでも部外者の目で続けて行こうと思います、いろいろ勉強していったらこの先考えも変わってくるかも・・・って、まあないだろうなあ~。













【58】廣瀬大社(河合町川合) 祭神・・・若宇加能売命

場所は大和川を越えてもはや斑鳩町ではないのですが、斑鳩町とは目と鼻の先と言うことなので取り上げました、大社を名乗っているかなり大きな神社です。場所は曽我川が大和川に合流する地点にあるのですが↓↓↓

「鎮座地は、高田川と一緒になった曽我川・大和川・飛鳥川など奈良盆地内を流れる河川のほとんどが合流する地点であり、このことから水神を祭る。社伝では、崇神天皇9年、広瀬の河合の里長の廣瀬臣藤時に託宣があり、水足池と呼ばれる沼地が一夜で陸地に変化し橘が数多く生えたことが天皇に伝わり、その地に大御膳神として社殿を建てて祀ったのに始まるとしている。」

とのこと、まあおとぎ話っぽいいわれですが大和平野の歴史に大きく関わる神社には違いないようです。神社名となっている「廣瀬」についてはこの前に吉野川分水関連で取り上げた広瀬川でも触れたと思います、広陵町、河合町が広瀬郡に位置していたと言うことでしたが、上の文章ではこの地の里長が廣瀬氏と記されています。橿原の曽我氏や御所の巨勢氏など、その地に古くからある地名にはその地を治めていた人の名が関わっていると言うことで、まだまだいろいろと勉強しなければ知ることができないことが多いみたいです。今回はちょっと宗教や信仰について否定的なことを書いてしまいましたが、自分(一人称)にとっての神社巡りは地元を知る勉強のためと言ったところでしょうか、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.1794 過去旅より・・・岡山県下津井の夕景

2022-07-24 19:31:54 | ふうけい
よろしくお願いします。


















更新が滞りがちになってお伝えしなければならない案件が溜まりがちなのですが、たまには気分を換えて懐かしの過去旅シリーズをやっておこうかな、と言うことで今回は2018年秋に訪れた岡山県下津井の風景の写真を貼り付けました。この旅は生活の方でいろいろとあったのですがそこから解放されて約2年半ぶりの久しぶりの宿泊旅、本当はしまなみ方面へ行きたかったのですが、予算の都合で少し距離を縮めて岡山~香川方面へと行くことにしました。初日の岡山では岡山市~総社市~倉敷市と回り最後にやって来たのが下津井の漁港、児島から下津井鉄道の廃線跡をたどり鷲羽山の裾野を経由して下津井へと入りました。上の写真の最初の方では鷲羽山から瀬戸大橋、更に向こうの四国香川県にある讃岐富士を撮っていますが、こうやって見ると手が届くような所に見えますね。下津井電鉄も廃止されてもう30年以上、JR瀬戸大橋線の快速『マリンライナー』が鷲羽山トンネルに入る手前で、車窓から見えた隣をとコトコと走っている小さな電車に興味をひかれて乗りに行ったのが廃止される2年前のこと。もっと乗ってみたい鉄道だったがそれからすぐに廃止されてしまった、今はその路線跡は自転車道になっていてこの時もそこを走ったが、鷲羽山駅から先は豪雨の影響で通行止めになっていたのが残念でした・・・。


















下津井漁港にたどり着いた頃はもう夕刻、でもこれは予定通り、1日好天に恵まれた最後は最高に泣ける風景が見られそうだ。日が西の空の低い位置で眩しい光を差しこんでくる、その光を浴びた赤灯台の写真を撮ると、今度は海の向こうにこれも陽光に金色に輝く宇多津のゴールドタワーがもうすぐそこにあるかのように見えている。こうやってみると本州と四国は近く見えるが実際には10キロ近く離れている、海はいろいろと不思議な現象を見せてくれます、奈良にないのが惜しいなあ・・・。


これから児島へ戻るには山を越えなければならない、とは言ってもその道はもう何度も走っているのでかつて知ったる道。電車の時間に合わせて児島へと戻ることに、漁港を走っていると日はだんだん傾いてきて、風景が金色にキラキラと輝いている。橋の真下を通りかかるとこの後乗ることになるJR瀬戸大橋線の快速『マリンライナー』が通りかかった、シルバーの車体が眩しく光っているのが下からでも分かる。見上げれば巨大な瀬戸大橋だが、この後山へと上って行くと橋と同じくらいの高さへとたどり着く。さっきは山に隠れたはずの太陽はまだ空に浮かんでいて今度こそ海に溶けようとしている、その残照が周辺にはね返ってまさに期待通り、泣ける風景が展開している。山を越えると児島駅へとたどり着く、今日1日の長い走りの最終目的地点、ここで相棒君を寝かせて輪行で四国へと渡りました↓↓↓
















またまた感染症課が広がりつつあります、第7波だって、それにしてはこれまでとは違い何かみんな呑気に構えている感じです。まあ慣れてしまっているからなんでしょうね、これまで経験したことがまたやって来て、こう対処したら乗り切れてまた平穏無事な日がやって来る、その繰り返しですからね、奈良に限らず全国で感染者数が過去最多に達しているから状況は深刻なはずなのですが・・・。こうなると自慢になるかならないかは分からないですが、自分(一人称)はまだ一度も感染していません、普段の行いがいいからなのか、馬鹿は風邪ひかないからなのか・・・、ただ最近緩みがちになっているマスクに関してはこの先も徹底して外さないつもりです。自転車で走っているたくさんの人がマスクを外していますが、自分(一人称)はその状況が怖くてたまんないんだよなあ~、やっぱりあげたくもないしもらいたくもないですからね。夏の甲子園までももうあとわずか、何とか事態が収拾して今年こそ通常開催してほしいところですが、プロ野球があんな状態ですからね、心配も心配なところです、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち

No.1793 滋賀の旅初夏編(1)・・・日野の商人の町並

2022-07-20 09:55:02 | 旅行記
よろしくお願いします。















4月に続いて5月にも滋賀県を走って来ました、3カ月連続、今年は割とハイペースで滋賀県に行ってますね、どこにそんなに自分(一人称)を引き付ける魅力があるのでしょうか、まさにミルクボーイがネタにしている「確認しに行く所」です。そんなわけで出発はJR奈良駅から、関西本線経由で柘植駅で草津線に乗り継ぎ貴生川駅で下車、ここからは近江鉄道に乗り換えます。これまでは各駅巡りやいろいろな巡りで外から眺めていた電車ですが乗車するのはもう25年以上ぶりくらい、昨今経営が厳しいと言うニュースも聞かれますが、今回は微力ながら売り上げに協力させてもらいます・・・、と言っても日野駅まで、ホンマに微力ですが。かつては自転車で走った道や町並を車窓越しに見ながらやがて日野駅に到着、もちろん各駅巡りで訪れたことがある駅ですが前に来た時はまだ古い駅舎だった。今は新しい駅舎になって隣には鉄道資料館もできて、近江鉄道まだまだ頑張るぞ~の姿勢がうかがえる、今度はもっと長い距離を乗せてもらうよう予定を考えておきます。













さて、相棒君を立ち上げていよいよ出発です、八日市方面を目指して走るのですが、本来なら近江鉄道線沿いを行くのですが今回は国道307号線を行こうと思ってまずは駅前からの道を進んで行きます。旧街道の雰囲気が漂う素朴な町並、大きな神社や由緒ありそうな家屋、写真5枚目にあるちょっと興味をひかれる伊勢道バス停、その前には大きな常夜灯があり御代参街道と書かれた看板、なるほど、先月走った御代参街道はここへとつながって伊勢へと通じているわけか。ここはちょっと道草、旧街道へと入って行くと家並みを抜けて一面に広がる田園風景、田植えが済んだばかりで小さな苗が整列を為している。さっきの道へと戻って先を進んで行くと国道307号線が横切る松尾交差点、ここを左に曲がって八日市方面を目指して走って行く・・・、と思ったが交差点の向こうにある近江商人の町並が気になる。まあ時間を気にする走りでもないし、次はいつ来るか分からないこともあったので、ここは曲がらずまっすぐ町並を進んで行くことにしました。
























日野町の近江商人の町並についてはほとんどノーマーク、日野と言う町もあまりよく知らないし、これまで3度ほど来たことはあっても駅の近くを通り過ぎるばかり。今回町並を走ってみて初めてこの町のことを知ったと言った感じ、町の中心部は駅付近と言うよりはむしろこちら側だったんですね。古い町並はいろいろと見所があったのですが、さすがにこの後の予定もあるのであまり長居はできない。メインの通りをある程度まで進んだ所で折り返し、まだまだこの先まっすぐ進むと何か見所はありそうな気がしたが、今進んできた道を戻ることに。まあ写真は撮れるだけ撮ったことだし予定外の行動、次回の巡りにつなげることとして日野の中心部を後にする、さっき通り過ぎた松尾交差点を右に曲がって国道307号線へと入って八日市方面へ向けて走ります。次の目的地は八日市の中心部から東へと山の方に進んだ所にある寺院、フォトチャンネルでは先行公開しています、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち