庭のモッコウバラが一気に咲き出しました。
バスケの練習にいそしんでます。
また住吉川では、
愛しさと切なさを兼ね備えてる 男子と
あどけなさとかわいらしさを兼ね備えてる 女子が、
楽しそうにバーベキュー。
***ウィキより***
大正、昭和にかけてのモダン建築で知られる渡辺節の設計によって 約3900平方メートルの敷地に、和館と洋館が建てられたが、 阪神大震災で和館は全壊、洋館だけが残った。 洋館は鉄筋二階建て住宅(延べ約770平方メートル)で 約20の洋室や和室、豪華な暖炉やシャンデリア、吹き抜けのホールなどがある。 |
六甲山麓には、江戸時代から沢山の水車が回っていました。 特に住吉川流域には88基もの水車が回り、灯油の油搾り、製粉、酒米の精米など、 水車産業として灘の酒造りを支えていました。 この地域の水路は当時の水車のために住吉川の上流から引かれたもので 今も清流が町の中を流れています。 水車小屋は桁行きが10間(18m)以上もある大きなもので水車の直径が 3間(5,4m)もあり、水車は真ん中に据えられており、 屋根の上から木樋で引き込まれた水の力で回りその左右に置かれた つき臼、すり臼、篩いに動力を伝えて動かしました。 水車を利用して作られた菜種油や酒は、大変よいものでそのほとんどが 江戸へ送られ「灘目油、酒」として武家を中心にもてはやされていました。 有馬道は、石材の積出しや水車へ往復する牛車が頻繁で、特に雨降りにはぬかるみ、 往来に困難を極めていました。 見かねた山田在住の植田庄兵衛翁が 有馬道の西側の田圃を全て買い上げ、道路用地として住吉村に寄贈し、 明治20年に目出度く村道第1号が山田から呉田に新設されました。 当時、翁は75歳の長寿で自ら「千歳道」と命名しました。 |
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行列ができすぎてたので、あきらめてその後ろにある雑貨屋さん「ナイーフ」に行く。
ここはかなりおしゃれな雑貨や小物、レトロな電球傘などが所狭しに並んでいます。
さぁ、そしてお待ちかねの、スイーツタイムです。
全然知らなかったのですが、岡本の中心からちょっと東に外れた、
普通の住宅街にあるカフェ、「マナーハウス」へ行きました。
手作り感たっぷりのベリーベリーショートケーキがボリュームたっぷりで580円!
リンゴのチーズケーキも同じ値段で、超リーズナブルです。
味も甘すぎずで、充分美味しい!
ここは飯系もあるみたいなので、今度は一度食べにきてみます。
裏岡本から甲南山手の細い道に立つ一本の大木。
な がウン十年前、小学校のときに歩いた通学路に、今もどっしり根を張っていした。
最後に芦屋川に行ってみると、もう桜は散った後。
でも、桜餅にしか見えない、ボタン桜?が満開でした。
最後は、近所で見つけた電線と銀杏の木。
普段通勤で毎日通ってる道ですが、上を向いて歩くことなんてありません。
でも、こんなに空が青いから、つい上を向いたら、初めて気づきました。
電線を避けるように、伸びてったみたいです。
ということで、快晴のサイクリングでした。
次の日は、鼻水ジュルルーで超大変。
まだ花粉が悲惨飛散してたよう。。。トホホ。