エルメスのスカーフ
(堕落する高級ブランドの著書から抜粋)
エルメスの直営旗艦店は1880年にパリのフォーブルサントノーレ24番地に構えています。
19世紀の百貨店を思わせる重厚な店構えで、すり減ったモザイクのタイルや
アールデコ調の照明器具が古き良き時代をしのばせています。
1837年エルメス創業以来43,000以上の鞄を作ってきましたが
採寸方法は一世紀以上に渡って受け継がれているそうです。
薄い生地にはポッケが付けられない…
と言う理由からも,
バッグを持つことが日常化してアクセサリーの一部になった。
エルエスが人の名前を付けたバックはケリーとバーキンの二つだけ。
ジャン・ルイ・デュマはエルメスの後継者として、高度な教育と傑出した才能を持った
人を惹きつけてやまない…
ジャン・ルイ・デュマは、「エレガンスは力だ!」とよく口にしていたそうです。
ジャン・ルイこそ!力のあるエレガンスな男!と
エルメスのジャン・ルイ・デュマは、フランス人が言う
ウン・グラム・ムッシュー(大人物)だといわれていました。
サントノーレ付近の道路だったと思います。
記憶が薄れてしまいました。m(__)m
ブランドの価値は、階級を重んじて特別なものを特別としていたから良かった。
と言えるような気がします。
ルイ・ヴィトン(Louis Vuitton ) を始め、名だたるブランドの価値観がおかしくなってしまったのも、
限られた人が持ち、丹精込めるから価値があり、そこに意味があったものだと思います。
大衆の人に分け隔てなく買い与える販路は、決して悪ではないが富を得ること=格差を付ける。
この代償は大きい。
何が良いのか、何がこだわりなのか分からなくなってしまいました。
そして、
ヨーロッパでは、小学生くらいまでに、偉くなれる人と、なれない人が決まってしまうそうです。
(船井幸雄さんの著書より)
高度な教育や教養を身に付けられるランク、レベル?が決まってしまうと言うことでしょうか?(>_<)
階級がはっきりと区別され、現代の社会では人間の尊厳が問われてしまいますね。
パリの学校です。
因みに、高校生くらいだったと思いますが、煙草を吸っていました。
でもパリでは、両親の許可があれば子供が煙草を吸っても何の問題も無いそうです。
この認識の差は、日本と外国の子育ての意識の違いをはっきりと感じます。
例えば、
朝子供が学校へ行くときに、日本のお母さんは子供を起こしますね。
「お願いだから起きて学校へ行ってちょうだい…」(笑)みたいに
ドイツのお母さんは、目覚まし時計を起きる時間にセットしてあげるだけです。
「朝は、自分で起きなさい。」という手助けだけです。
この差は、 「大きい」 と思います。
これが、自立する自立型と依存型の人間と二通りの人間を形成する要因ですね。
日本人は、依存型のタイプが多いような気がします。
裏返せば、日本のような過保護すぎる愛情も…
時として、治安の良い安全な日本を作り上げたという結果にもなりますよね。
日本人の皆平等、階級を感じさせない現代、勤勉、お人よし、調和を重んじ、
和を大切にする心。等々…
良いところを見る視点で捉えていくと、良しとするところはたくさんありますね。(*^^)v
欧州ヨーロッパは歴史の深さ、重さがあり、特に芸術や美の意識が高いと思いますが、
これは姿形は違えど、それぞれの国に個性があって、
すべての人の心に真善美体の精神があるのではないかと…
真・善・美 真と美は本心の固有するもので、
善 とは良心や霊性心の能動に際して、必然的に発動する純真情緒。
人間の理想である、真と善と美。
それぞれ、学問・道徳・芸術の追求目標といえる、三つの大きな価値概念。
何が一番大切なのか?
幸せと感じる時って、自分も周りもみんなが幸せな時ですよね。
忘れないで、仲良く過ごしたいですね。
それではまたね(*^^)v