FANCLから毎月、ESPOIRという雑誌が送られてきます。この中に角田光代さんが連載エッセイを書いていらして、これが毎回よいのです。読みながら「ふむふむ、そうだよねぇ。。」などとひとりで頷いていたりして。
今回のテーマは、「恋に似ている」です。以下、一部を抜粋。
二十代のころ、年をとるのはいやだなと漠然と思っていて、その理由は、感動しなくなるだろうから、というものだった。
(中略)
そして三十代半ばのころ、私はおそれていた事態に陥った。つまり、おっさん化したのである。何か新しい音楽を聴きたくても、以前のように心震えず、昔のCDばかり聴いてしまう。映画を見にいく時間がなく、無理に時間をつくっても見にいきたい映画がない。新しい何かをはじめたいという気持ちもない。じつはこのとき、仕事が本当に忙しかった。まったく余裕がなかったのである。余裕がないと、外への関心がどんどん減っていくのだということも、忙しすぎて気づかなかった。一日の、仕事と雑事と家事をこなすのが精一杯だった。それを「充実」というのだと勘違いしていた。
そんな日々を変えたのが、一枚のCDだった。友だちがあるとき、「これきっと好きだと思う」と、私の知らないバンドのCDを貸してくれたのだ。あまり期待せずに聴いてみて、びっくりした。二十代のときとおんなじように心が震えたのだ。そのことに私は救われた。もう三十代も後半だけれど、まだこうして感動できる。感動できる、できないは、年齢じゃない、その人のありようが決めるのだ。
(中略)
二十代と違うことが唯一あって、自分の好みがはっきりわかる、ということ。新しいものでも、好きか嫌いか、なんとなくわかるのだ。だから好きなものにしか反応せず、まことに効率がよい。効率と恋って矛盾する何かだと思うけれど、人以外のあれやこれやに恋するぶんには、相反しないらしい。
うんうん、とてもよくわかります。忙しすぎると心がささくれて、枯れてくるんですよね。でも、あまりに忙しすぎてそれすらわからなくなっていて。。
どんどんいろんなことに無関心になっていって、日々こなさなればならないことに追われていく。それがさらに拍車をかけていくわけで。
エンドレス。。悪循環。断ち切るには、少しの余裕と一歩を踏み出す勇気と気力、かな?
いくつになっても小さなことでいいから、感動できる心の余裕と柔軟さをもっていたいな♪