東京芸術劇場シアターイーストにて、NYLON 100℃ side session #12 『ゴドーは待たれながら』 東京千秋楽 4月14日(日)開演14:00を観てきました。東京芸術劇場×キューブ共催公演、ナイロン100℃結成20周年企画第二弾という公演です。
※ネタばれがありますので、ご注意くださいませ。
【作】いとうせいこう
【演出】ケラリーノ・サンドロヴィッチ
【出演】大倉孝二
【声の出演】野田秀樹
【音楽】鈴木光介
【美術】BOKETA
【照明】関口裕二
【衣装】宮本宣子
【ストーリー】※フライヤーより
サミュエル・ベケットの20世紀を代表する戯曲「ゴドーを待ちながら」を下敷きに、待たれている男の一人芝居を描いた、いとうせいこうの92年の傑作「ゴドーは待たれながら」。
ケラリーノ・サンドロヴィッチが10年以上にわたり大倉を口説き、今芸劇で伝説の舞台が蘇る。
公式サイトはこちら → 『ゴドーは待たれながら』
+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥・・・・・・・・・・・・・+
客入れは吹き荒れる風の音。
美術はシンプルですが、細部にまでこだわって作られていて繊細でリアル。中央奥には、フレーム状の古びた木材の構造物が少し斜めに傾いてあります。その上部に小さな開口部と窓。開口部からは大きな梁が客席側に向かって突き出ています。この斜め具合といい、張出し加減といい、不安な気持ちにさせられます。
舞台前面にも同様のフレーム状の構造物があり、下手側にはドア。ハンドル状のドアノブは錆て茶色に変色しています。構造物の下部は所々素材が剥がれ落ち、蔦が絡んだ跡が見受けられます。
今回、最前列のセンター席だったので、かなり細部まで観てとれました。ほとんどの観客席からはここまでは観えないだろうと思われるのに、ここまでリアルな質感を再現してあるこだわりに脱帽。
窓からは、ぐるぐると渦巻く雲が映像で映しだされています。よく西洋絵画で見かけるような色合いと雰囲気の雲です。この雲がなんとも言えない不安や焦燥感を煽っておりました。
中央に大きな古びた蓋付きの木箱。その手前に同じく古びた木製の椅子が1脚。上手にマンダラゲ(実際には枯れた?エンゼルストランペット)の大鉢。
衣装は黒いフェルト帽、黒いジャケット、黒いパンツ。基本、裸足ですが、ダークブラウンの革靴もあります。どれも見事に埃で白っぽくなったり、ほつれたりしています。ゴドーというと連想するいでたちそのものです。
大倉さん演じるゴドーは延々と大きな声で、この家から出て行けない、行かない、出られない、出る気がない言い訳を言い続けます。おかしなリアクションをしたりして笑いを提供しながら。
そのうちに段々と空想から妄想へと変わっていき、焦燥、不安から狂気に変容していきます。このくだりがなんとも言えない気持ちになるのです。こちらまで不安と焦燥感に煽られるような。。 歯車が微妙に微妙に、少しずつ少しずつ、噛み合わなくなっていくような、居心地が悪い感覚。
「待つこと」の希望。「待たれること」の焦燥と絶望。「待たれること」は「待つこと」よりもっと絶望的なのだと。
ラストシーンで椅子に座り、足を組み、顎に手をやり、無言、無表情で固まったような姿のゴドーはもはや仙人のようでした。
大倉さんは心身共に酷使した熱演でした。白髪にするための化粧品の白い色が汗で流れて、首筋に何本も白い筋を作っておりました。休憩を入れて2時間、出ずっぱりしゃべりっぱなし、動きっぱなしの一人芝居。たった一人で板の上で戦っている姿に感動しました。
声の出演だった野田秀樹さん。子供という設定とはいえ、無邪気なきょとんとした声の調子がゴドーと対照的で、笑いを誘いながらもゴドーの狂気さが際立つようでした。声だけでニュアンスを表すのは難しいと思います。野田さんもすごいな。。と。
カーテンコールは2回。1回目は大倉さん登場。2回目はケラさんが客席側から登場。以下のようなお話をされました。記憶のみを頼りにして書いているので、記憶違いはご容赦のほどを。
ケラさん「え~大倉は今、袖で死ぬ前の力石になっていて。ちょっと待って。楽屋見舞いが病院見舞いみたいになっていた」
大倉さん登場。
ケラさん「やり終わってよかった?」
大倉さん「それほどでも。。」
というような、壮絶だったであろう公演のお話をされておりました。本当にお疲れさまでした。
+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥・・・・・・・・・・・・・+
フライヤー その1。
フライヤー その2。
ケラさんの、「ゴドーは待たれながら」御来場のお客様へ。
当日パンフ。今後の予定など。
本のようなパンフレット、1600円也。インタビューや寄稿、いとうせいこうさんの戯曲(絶版)も載っております。お得♪