『僕等の図書室』のDVDを観ました。先日、千秋楽を迎えた『僕等の図書室2』の前に行われた公演をDVD化したものです。
※若干のネタバレ等がありますので、ご注意ください。
【脚本】穴吹一朗
【演出】板垣恭一
【音楽】ピアノ 日野悠平
【キャスト】
三上真史:まさしの「桃太郎」
村井良大:「ごんぎつね」ムライ
中村龍介:りゅうの「ピーターパン」
滝口幸広:ユキヒロの「智恵子抄」
井深克彦:かっちの「シンデレラ」
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誰もが一度は耳にしたことのある、馴染み深い物語が題材の朗読劇です。朗読劇といっても、ただ座って朗読しているだけではないところが見所ですね♪
‥ですけども、全然違うお話になっております(笑 キャストの方たちのキャラターに、あて書きしたのだろうと思われる脚本に仕上がっております。
原作のイメージを大切になさりたい方には、多少?の軽~いショックを受けられるかもしれませんよ、これは。
どのお話もおもしろかったです♪ キャストさんたちが、仲良しで楽しんで演じているのが伝わってきます。これは観ていて気持ちがいいものですね。
☆三上真史:まさしの「桃太郎」
超真面目で堅物の桃太郎が似合います♪ 某園芸番組の小ネタも入っていたり。
「どんな時代にも鬼はいます。」この台詞にじ~んとしてしまいました。
☆村井良大:「ごんぎつね」ムライ
え~観た瞬間、どうしていいのか困りました。こんな“ごん”は、初めてですよ~誰が観てもそうだと思われます。絵に描いたようなチンピラの衣装が似合うのも、村井さんならではかと(笑
ラストのあたりで感情が高ぶっているのが観てとれました。。なんだか、観ているほうが切なかったです。。
☆中村龍介:りゅうの「ピーターパン」
こんなピーターパンは嫌だ。。と思ってしまったピーターパン(笑 やる気のないやさぐれた感じがよく出ておりました。
ラストで子供たちが帰るとき、「やっぱりおまえたちも大人になりたいんだな。。」と、寂しそうにぽつんと言うピーターパンが切なく悲しかったです。。
みんな誰もが大人になっていく、好むと好まざるとにかかわらず。人は何かを得ると何かを失ういきもの。いつまでも大人にならないピーターパンはいつも一人だけ置いてけぼりなんですよね。。
☆滝口幸広:ユキヒロの「智恵子抄」
意外なことに、高村光太郎の役がはまっておりました。狂っていく智恵子を愛する苦悩がよく伝わってきました。
唯一、ボケとか笑いとか一切なしの、原作に比較的忠実なお話に仕上がっております。
☆井深克彦:かっちの「シンデレラ」
とにかく、ビジュアル的にインパクト大!!です。シンデレラの女装(ティアラ&ドレス&ハイヒール)のお姿は、男性だし、背も高いし、肩幅も広いのに。。かわいいのです♪ 説明とか疑問とかはいらない域に達しておられます。
正直、井深さんの発声や演技力はまだまだこれからかと思われます。ですけども、お稽古がんばったんだろうなぁ。。と思わせる熱演に、上手い下手を通り越して感じるものがありました。
女の子(だったを含む)なら一度は憧れたであろうシンデレラのお話。ここでは怖~いお話になっておりますけど、それでも女性は共感するものがなにかしらあるのではないでしょうかね?
★特典映像
楽屋などのショット満載♪ 井深さんの、わぁ~!なお姿も。
村井さん、舞台上での集合写真撮影で、どんどん三上さんに体重掛けて乗っかっていくのはどうかなぁ~(笑、三上さん困っていたし。でも、何も言い返さないところが三上さんらしい。
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ケースのジャケット裏側。キャストのみなさんのポートレイト♪ ちなみにトップの画像は、表側。
DVD本体。本当に学校の黒板と黒板消しみたい♪
実は、観た後で気づいたんだけど、このDVDに一部音声と映像が合っていないという不具合がありまして。発売元の「る・ひまわり」さんに専用フォームで連絡、只今新品の交換待ちです。
絶賛生産中だとかで、新品と交換にはまだ時間がかかりそうです。やれやれ。。
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前回の公演は大阪のみ。今回は渋谷のパルコ劇場だったわけですけど、ご多分に漏れず、チケット争奪戦に完敗 サイトにアクセスすらできず、できたときにはすでに完売。
DVD化を待ちたいと思います。
ちなみに、『僕等の図書室2』の公式ブログはこちら♪ 本屋さんのブログ
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余談。。
「ごんぎつね」は、小学校のときに読んであまりの悲しさに泣き、「泣いた赤鬼」と同じような切なくやりきれないお話です。
自分が相手を想う気持ち、「ただそうしたかっただけ。。」その純粋な気持ちが伝わらない悲しさ。。
そんなことをまた思い出しました。
「智恵子抄」は、中学生のときに初めて読んで、「これのどこが一体、愛の物語なのだろう?」と、幾分、怒り混じりで思ったのでした。
高村光太郎さんは確かに智恵子さんを愛していたのだとは思います。思いますけど。。それはエゴイスティックな愛だと思うのです。
どうして愛する女性が狂っていくさまを文章に綴り、出版し、人目にさらすことができるのだろう。。?とね。そんなことを本人が望んでいたとは到底思えませんもの。。
智恵子さんが過ごした病院で、彼女の晩年を看ていたのは、とうに彼女から逃げ出していた夫の高村光太郎さんではなく、彼女の姪ごさんだったわけで。
後年、高村さんサイドに対する、智恵子さんの実家サイドの気持ちが、ひとかたならぬものがあったのも無理からぬことかと思われます。
自分が世に出るきっかけが、愛する?妻の狂っていくさまを描いた自叙伝のようなものというのは、正直、いかがなものか。。
どうも、この作品が「愛」に溢れる夫婦の物語みたいに言われるたびに、違和感を感じざるを得ません。