喪(も)の知らせ 見上げる冬空 底はなし
彼は、私の親友の「ご主人」でした。
彼はすし職人でした。
彼と彼女は、28歳と23歳で結婚しました。
小さな町工場やアパートがひしめく街で、二坪ほどの場所を借りてカウンターだけのすし屋を始めました。
その二階の三畳ほどの空間が、彼と彼女の新居でした。
懸命に働き、少しずつ店を広げ、子どもも四人生まれました。
やがて、小さな土地を買い、宴会ができる部屋のある三階建てのビルを建てました。
彼女は、そこに「風呂」を造ろうと彼に提案しましたが、彼は、その場所に井戸を掘りました。
一家は毎日、近所の銭湯に通い続けました。
にぎやかに会話を交わし、お年寄りの背中を流し、町の人ときずなを深めていきました。
阪神大震災の時、すぐ近くの町は火の海となり、あたりは無残にも倒壊しました。
多くの人が、水と食料と屋根のある場所をもとめて、混乱していました。
彼と彼女の「ビル」は、無事でした。
彼の井戸の水を求めて、人々が一キロほども並びました。
彼の「宴会用座敷」に何十人もの人が身を寄せ、営業用の釜で、持ち寄ったコメを炊いて食べました。
彼のお葬式にはびっくりするほどの弔問客が集まったそうです。
内輪だけのつもりが、人が人に伝え、町中の人がその死を悼んだからでしょう。