ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

聖書に見る美貌13――ダビデの王子たち、アドニヤ、ソロモン

2016年11月01日 | 聖書




       神さまは、最初地上にただ一対の男女を置かれました。
       エバがアダムに与えらえられた時、アダムは彼女を見て、
       「これぞ、私の骨の骨、肉の肉」といって喜んだのです。(旧約聖書・創世記2章23章)


       楽園エデンの園には、何でもそろっていたのですが、
       
       神様は、「人間が一人でいるのは良くない。彼に助け手を造ろう」と仰せになって、
       エバをお造りになったのです。(同2章18節)

       ふたりしかいない時には、外見の様子などはあまり意味がなかったのでしょう。
       彼らの外見に対する描写は、いっさいありません。

       彼らは、全裸だったのですが、その外見を評価するような者もいなかったので、
       これだけ考えても、とても幸せな時代ですね。

       じじつ、彼らは、自分たちが、「全裸である」ことさえ、「知らなかった」のです。

       知恵の実を食べて目が開けたあと、はじめて、たがいに裸だと気がついて、互いに恥ずかしいと思い、
       いちじくの葉をつづり合わせて腰をおおったのです。

       夕方になって、神様が彼らをお呼びになったとき、彼らは、初めて「神様から」隠れたのです。
       神さまに、「なぜ隠れたのか」と聞かれて、「裸なので恥ずかしいと思いました」と答えています。
       「あなたが裸であることを誰が教えたのか」と、続くのです。

       人は、じつに、「目が開けた」瞬間から、うわべを気にしていたんですね。



              ★ ★ ★  



        人のうわべが、悲劇的なのは、それは「朽ちる存在」のためですね。
        どんなに、美しい外見も、年月とともに壁土のように剥落(はくらく)していき、

        どんなに強靭な肉体でも、やがては衰えていくのです。

        アダムとエバが恥じたのは、自分たちの有限の姿を見たからでしょうか。
        神様と対等になるといわれて知恵の実を食べたのに、
        そこには、みるも恥ずかしい姿があった・・・?


                ★ ★ ★★


        王制になったイスラエルに突然、たくさんの美しい男たちが現れます。
        美貌は、「完全」を表徴するのでしょうか。

        たしかに、人がどれほど、化粧や身なりに気を使いお金を使っているかを考えれば、
        神の御心とは反対だと「思って」いても、私たちは、うわべを繕うのかもしれません。

        ダビデが70歳になったときです。
        ダビデは老いて、病気がちになりました。家来たちは、
        王の世話をする若い娘をさがしだしてきて、
        仕えさせます。


                      
      この娘は非常に美しかった。彼女は王の世話をするようになり、彼に仕えたが、
      王は彼女を知ろうとはしなかった。(旧約聖書Ⅰ列王記1章4節)
      一方、ハギテの子アドニヤは、「私が王になろう」と言って、野心をいだき、
      戦車、騎兵、それに、自分の前を走る者五十人を手に入れた。(5節)
      ――彼の父は存命中、「あなたはどうしてこんなことをしたのか」と言って、
      彼のことで心を痛めたことがなかった。
      そのうえ、彼は非常な美男子で、アブシャロムの次に生まれた子であった――(6節)




         若い美しい娘にも心動かされなくなったダビデ。
         王が弱ってきたとき、王宮は騒然としてきます。

         そのとき、王子アドニヤは、自分こそ次の王になろうと思い、戴冠の儀式に必要な
         戦車や騎兵や従者を集め、即位を宣言するのです。
         彼は、アブシャロムの次に生まれた王子でした。
         アブシャロムがクーデターに失敗して倒れたとき、
         「これで、王位は自分のもの」と思ったかもしれません。

         なんといっても、アドニヤも美男子で、
         父親から叱られたことは一度もなく、父親を心配させたこともなかったのです。

         アブシャロムの容姿は、「頭のてっぺんから足の先まで、非の打ち所がなかった」と
         説明されていました。


         してみると、容姿の「完全さ」が、心の完全さだと思われたのでしょうか。

         「人はうわべを見るが、神は心を見る」と言われた神の価値観がないがしろにされ、
         ダビデの王宮にも、悲劇が入り込みました。

         ちなみに、アドニヤを制して王になった
         ソロモンがどのような容姿であったか、直接の言及はありません。
         彼の母、バテ・シェバは、ダビデの8番目の妻で、

         ソロモンはダビデの7番目の息子でした。