ソロモンが美貌だったのは間違いないと、さとうは信じたいのですが、
聖書には彼の外見について言及がありません。
聖書は、ある牧師がいわれているように「寡黙な書物」ですから、
ある人物について一番大きな主題に光が当てられています。
モーセについては、イスラエル人を導く荒野の40年の苦闘です。
モーセから、使命を引き継いでヨルダン川を渡り、
民をカナンに入れたヨシュアは、その果敢な戦いの姿です。
大預言者サムエルは、
王制直前の不安定な政情の中で、まっすぐ神を見上げ、神の言葉を取り次いで、
イスラエルを正しく導き続けた稀有の預言者です。
サウルは、民の求めに応じて、神が最初に選ばれたイスラエルの王です。
最初に民の前に立つ王として、民の期待がいやがおうにも表面的な風貌に注がれたのでしょう。
大変な美男子で、イスラエル人の中でだれよりも頭一つ高い青年でした。
ダビデも、美男子ぞろいのエッサイの家の息子でした。
★ ★ ★★★
ソロモンは、古代イスラエルに空前絶後の繁栄の時代を築いた王でした。
繁栄の甘美な果実を味わい尽くした人でした。
彼に政治力があったので、
この時代のイスラエル王国は、大河(ユーフラテス川)の西側から、ガザまで、
そこに住む王たちまでを支配していたのです。
税金がたくさん入り、軍備は充実し、王の私生活も大掛かりで贅沢でした。
妻が700人そばめが300人もいたと記録されています。
彼はたんに、お金と女性と政治に満足する王ではなかったのです。
彼は3千の箴言を語り、彼の歌は1500首もあった。(Ⅰ列王記4章32節)
彼はレバノンの杉の木から、石垣に生えるヒソプに至るまでの草木について語り、
獣や鳥やはうものや魚についても語った。(同33節)
ソロモンの知恵を聞くために、すべての国の人々や、彼の知恵のうわさを聞いた国の
すべての王たちがやってきた。(同34節)
ソロモンは、今でいえば高学歴で高い能力をもった人、文芸から、芸術、道徳、倫理
博物学、さらに何よりも、神学に通じた人であったのです。
★★
ところが、晩年、彼が語った言葉はとても虚無的です。
エルサレムでの王、ダビデの子、伝道者のことば。
空(くう)の空(くう)。伝道者は言う。
空の空。すべては空。
日の下で、どんなに労苦しても、
それが人に何の益になろう。(伝道者の書1章1節~3節)
実に、知恵が多くなれば悩みも多くなり、
知識を増すものは悲しみを増す。(同18節)
私は、私の目の欲するものは何でも拒まず、心のおもむくままに、
あらゆる楽しみをした。
実に私の心はどんな労苦をも喜んだ。これが、私のすべての労苦による
私の受ける分であった。 (同2章10節)
しかし、私が手がけたあらゆる事業と、
そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、なんと、
すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。
日の下には何一つ、益になるものはない。 (同11節)
伝道者の書は、さほど長い文書ではないので、聖書をお持ちの方は、ぜひご覧ください。
旧約聖書の21番目に置かれています。
★
ソロモンが、最後に味わった虚無的な感覚は、ある意味で多くの読者を引き付けるのです。
けれども、神の祝福を、およそ人間的には考えられないほど味わった王の、
このような「心のありよう」を、神がお喜びになっていなかったのは事実です。
ソロモンがどれほど、美貌であっても、神さまの目からは、、
彼は年を経るにつれ、醜くなっていたといえるでしょう。