生誕劇(降誕劇)を書くとき、いつも、心が固まってしまうことばがありました、「どうしてそのようなことになりえましょう」
マリアが、懐妊を告げに来た御使いに言うのです。とても有名な箇所、感動の瞬間です。このセリフがなくては、お告げの場面は形になりません。
なかなかタイピングできないので、手元にある聖書をいろいろ広げてみます。(と言っても、さほど多くもっているわけではありませんが。)
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新改訳聖書1978年9月発行版
そこでマリアは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」(ルカの福音書1-34)
新改訳聖書2017年版
マリアは御使いに言った。「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。私は男の人を知りませんのに。」(ルカの福音書1-34)
新共同訳聖書、(1987、1988,1997)
マリアは天使に言った。「どうしてそのようなことがあり得ましょう。私は男の人を知りませんのに。」(ルカの福音書1-34)
口語訳聖書(新約;1954、旧約;1955年発行)
「どうして、そんな事があり得ましょう。わたしにはまだ夫がありませんのに」(ルカの福音書1-34)
リビングバイブル(1982年初版、新版1993∼2008年)
「どうして子供が出来ましょう。まだ結婚もしておりませんのに」(ルカの福音書1-34)
Holy Bible
And Mary said to the angel, ”How can this be, since I am a virgin?”
(Luke chapter1.34)
Good News Bible
Mary said to the angel, “I am a virgin. How then, can this be?”
★★★
マリヤの、御使いガブリエルへの反応はきわめて「正常」です。彼女にとって、全く身に覚えのないことだったのです。マリヤには、ヨセフという許婚がいましたが、ユダヤ教の律法では、婚約期間中であっても、性的関係はご法度でした。マリヤもヨセフも神の前に正しくあろうとしていたに違いありません。まだ、10代後半だと推測されている処女に対して、み告げはあまりにも意外でした。ある意味、残酷だとさえ言えるでしょう。
マリヤの反応は、きわめて正常でした。そのことが、私を固まらせていたのです。
ルカの福音書では、マリヤへの受胎告知に先立って、同じ御使いガブリエルによって、バプテスマのヨハネの誕生が、父親ザカリヤに対して予告されています。ザカリヤは、ユダヤ教の祭司でした。年老いた妻エリザベツとザカリヤはすでに高齢で、子供を持つ望みのない夫婦でした。
そんなザカリヤでも、とっさに聞き返しています。
「私はそのようなことを、何によって知ることができるでしょうか。この私は年寄りですし、妻ももう年を取っています」(ルカの福音書1章18節)
同じあり得ないと思える予告でも、ザカリヤの場合は喜びのはずでした。それでも、神の言葉を受け入れられなかったので、ザカリヤは、息子が生まれるまで口がきけなくされてしまうのです。
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「どうしてそのようなことがあり得るのか?」と言うのは、聖書を読むすべての人の反応なのです。
聖書では、神は、「初めに天と地を創造した」方であり、すべてのすべてであると、「知っている」人たちでさえ、しばしば、問い返してしまうのです。
マリヤは、じつに、全世界の人たちを代表して、この言葉を口にしただけだったのです。 しかし、御使いは言います。
「神にとって不可能なことは何もありません。」
マリヤは言った。「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように」 (ルカの福音書1章37節38節)
この素直さが、救い主の母として語りつがれているマリアの、聖さであり、美しさであり、信仰の確かさだと理解できるまで、長い時間がかかったように思います。