先週金曜日の夜、神保町の「ハイランズ・バー」で行われた、「落語」「聖書劇」「宴会芸」のおさらいです。
宴会芸は、面白いけれど見ていただくしかないのです。
落語の「崇徳院」は、平安時代末期・悲劇の天皇で知られる崇徳院の和歌
瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の
われても末に 逢はむとぞ思ふ
に、ひっかけた楽しいお話で、古典落語としても有名です。
私は、久しぶりに聞いて、
他愛ないお話だけれどよくできているなあと感心しました。
もちろん、二つ目の新進噺家・三遊亭遊助さんの「芸の力」によるところが大きいのですが。
行きずりに出会った若い男女がひと目ぼれしてしまう。
別れ際、とっさに、この歌の下の句を書いて、若旦那に渡す令嬢、それから、
それをもらった若旦那と、令嬢の二人とも、同時に重症の恋わずらい。
それを知った周りの人たちが、歌の下の句を頼りに相手を探して回るなんて、
ほんとに優雅な話です。
下の句を叫んで回る長屋の熊さんが、全く歌の意味もわからない無学で素朴な人であるのも、
面白い!
★
「ピレモンへの手紙」は、新約聖書のパウロの書簡の最後にある短い手紙です。
ローマ帝国の囚人となっていたパウロのもとに、誠実なキリストの信仰者ピレモンの奴隷オネシモが
やってきます。じつは、主人ピレモンの家の金を盗んで逃亡してきたのです。
オネシモも、ピレモン同様パウロの伝道で救われた人でした。
、
パウロはオネシモを説得して、主人のもとへ帰します。盗んだ金を弁済し、
主人ピレモンへの手紙を持たせて、オネシモを赦して、受け入れるように頼むのです。
クリスチャンは、この世での身分は奴隷と自由人であっても、同じ主にある兄弟です。
パウロは、オネシモにも自覚を促し同時にピレモンに、主にあって赦して受け入れるよう書いています。
ほんとうに、「美しい話です」
1ページ半ほどの短い手紙ですから、聖書をお持ちの方は是非、お読みになってみてください。