ウェルカム礼拝のご案内 2018年05月12日 | 聖書 教会では、6月にウェルカム礼拝を計画しています。 その案内はがきを作るために、数日奮闘しました。 いつもデザインを担当してくださる若い姉妹の都合がつかなくて、 さとうが引き受けることになってしまったのです。 多くの方をお招きできればと、祈りながら作りました。 よろしくお願いします #イベントニュース « 国展――holiday in 国立新美術館 | トップ | ウエルカム礼拝のポスター、... »
2 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 はじめまして (河太郎) 2018-05-16 00:35:07 河太郎(季節が晩秋になると山童に変化します)と申します。rakitarou先生のブログから飛んできました。幼児洗礼から半世紀弱、カトリックとして生きてきました。不良クリスチャンですが。キリスト教徒として帰依する日々も、ハンターとして山々の神へ供物を犠牲してました。どうにもキリスト教信仰に合わない部分を感じて……いや、貴兄がカトリックかプロテスタントかオーソドックスが解らないのですが、私は神道に改宗しました。親友の宮司が「イエス様を信仰するままに氏子になっても良いよ。他の神々を否定したり、見下したりしなければ。唯一神教徒の君には難しいかも知れない。でも、それを約束するならば氏子として迎え入れる。それが俺の信じる神道だから!」と言われて改宗しました。カトリックは私の元教会なのかも知れませんが、韓国出身の司教が増えてます。説教で歴史問題を繰り返し話されるので、信徒のうちに「保守」の方が離席する事件が相次ぎ、やがて聖堂(プロテスタントの方ですと礼拝堂ですね)が「政治対立」で分断されるようになりました。もう本当に嫌でした。神聖な聖堂(礼拝堂)で! そもそも全ての人を救うのが主たる方では?そこで神道に改宗しました。山と自然を神として崇める思想には、土臭い私には向いてます。ただ……「穢れ」の思想がある。排他的な部分があります。そもそも「神」とは全ての人を救う存在ではないのか?神道は日本人なは親和的ですが、そう……かなり古代からの自然信仰を継承していて、実は神々はかなり厳格というか、無慈悲な側面も有する。それはハンターとして幾多の生命を断ってきた私であるし、若い頃に自衛隊に勤務した時の役職は「狙撃兵」であり「殺し屋」です。そしてハンターとして大自然の過酷さにも接してきましたので、穢れを排除する厳しさも理解できるんです。けど……時に全ての罪を背負ってくれたイエス様や、許したもう神である「主」が懐かしく思える時もあります。すみません、愚痴になりました。俺はもう異教徒で裏切り者ですよね。ついつい愚痴になりました。すみません。 返信する すべてをご存知の神 (さとうまさこ) 2018-05-16 11:05:49 メールをありがとうございます。河太郎様、初めまして。私はプロテスタントのクリスチャンです。それも、人生の晩年になって救われました。カトリックのことは知識として少しだけ知っていますが、日本では自分の教会の礼拝が精いっぱいで、カトリック教会へ行ったこともありません。カトリックで韓国人の聖職者が多いというのも知りませんでした。私見では、韓国人の人が日本の悪口を言うのと、聖書の教えは分けて考えられるべきだと思います。自分の国の歴史をなじられて気分の良い人はいないですよね。最近では、キリスト教界でも、歴史観が多様になってきています。確かに、欧米の宣教師経由で入ってきたキリスト教は、日本人をさげすんでいる前提があるかもしれませんが、それはやはり、はっきりと主張すべきだと思います。聖書の神様は天地万物と私たちをお造りになった方なのですから、もともと福音はユニバーサルなものです。全知全能の方ですから、私たちの悩みやクリスチャンの煩悶やもめ事もごぞんじのはずです。河太郎様のように疑問をもつ方は珍しくはありませんし、それだけで、神様からごらんになって、「不良クリスチャン」と言えるかどうか。私自身は、こんなことは、神様がいらっしゃらなければ起こらないという体験をしたので、一晩で回心しました。それまで、10年近く宣教師さんと数人のクリスチャンが集う聖書の学びに出席していましたが、信仰を持つつもりは、ありませんでした。体験がきっかけに回心したので、聖書を読んで裏付けを欲しいと思い、2010年から毎日、聖書を読んでエッセイを投稿し、今年の三月にやっと旧約聖書を読み終えました。今は、新約聖書に入り、今日はマタイの福音書7章12節でした。http://genisis-a.seesaa.net/私が言えるのは、自分で聖書を読んでみて、私をお造りになってくださった神様を確信できるようになったことです。それは実に感謝な時間でした。人と人の葛藤や、いつまでも解決しそうもない国際情勢などを含めて、私たちは、神の采配の下にあるのだと思えるようになりました。ですから、神様からの平安と愛もいよいよ深く感じています。神道に改宗されたとか。それはそれとして、河太郎様も聖書をお読みになって下さればと願うのです。聖書をお読みになれば、ハンターがさばかれている箇所などありませんし、あなたが神を捨てたと思っていても神はあなたを見限ってはおられないことがわかると思いいます。親なら自分の子供から縁を切るといわれても、子供を思う心は変わらないでしょう。聖書のいたるところに記されている神の思いを知っていただきたいのです。一応、私の聖書通読エッセイのURLを記させてください。2600を超える記事数ですから、気が向けばクリックしてくだされば感謝です。http://vineyard1.seesaa.net/ 、 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
どうにもキリスト教信仰に合わない部分を感じて……いや、貴兄がカトリックかプロテスタントかオーソドックスが解らないのですが、私は神道に改宗しました。
親友の宮司が「イエス様を信仰するままに氏子になっても良いよ。他の神々を否定したり、見下したりしなければ。唯一神教徒の君には難しいかも知れない。でも、それを約束するならば氏子として迎え入れる。それが俺の信じる神道だから!」と言われて改宗しました。
カトリックは私の元教会なのかも知れませんが、韓国出身の司教が増えてます。
説教で歴史問題を繰り返し話されるので、信徒のうちに「保守」の方が離席する事件が相次ぎ、やがて聖堂(プロテスタントの方ですと礼拝堂ですね)が「政治対立」で分断されるようになりました。もう本当に嫌でした。
神聖な聖堂(礼拝堂)で! そもそも全ての人を救うのが主たる方では?
そこで神道に改宗しました。山と自然を神として崇める思想には、土臭い私には向いてます。
ただ……「穢れ」の思想がある。排他的な部分があります。そもそも「神」とは全ての人を救う存在ではないのか?
神道は日本人なは親和的ですが、そう……かなり古代からの自然信仰を継承していて、実は神々はかなり厳格というか、無慈悲な側面も有する。それはハンターとして幾多の生命を断ってきた私であるし、若い頃に自衛隊に勤務した時の役職は「狙撃兵」であり「殺し屋」です。
そしてハンターとして大自然の過酷さにも接してきましたので、穢れを排除する厳しさも理解できるんです。けど……
時に全ての罪を背負ってくれたイエス様や、許したもう神である「主」が懐かしく思える時もあります。すみません、愚痴になりました。
俺はもう異教徒で裏切り者ですよね。
ついつい愚痴になりました。すみません。
河太郎様、初めまして。私はプロテスタントのクリスチャンです。それも、人生の晩年になって救われました。カトリックのことは知識として少しだけ知っていますが、日本では自分の教会の礼拝が精いっぱいで、カトリック教会へ行ったこともありません。カトリックで韓国人の聖職者が多いというのも知りませんでした。私見では、韓国人の人が日本の悪口を言うのと、聖書の教えは分けて考えられるべきだと思います。自分の国の歴史をなじられて気分の良い人はいないですよね。最近では、キリスト教界でも、歴史観が多様になってきています。確かに、欧米の宣教師経由で入ってきたキリスト教は、日本人をさげすんでいる前提があるかもしれませんが、それはやはり、はっきりと主張すべきだと思います。
聖書の神様は天地万物と私たちをお造りになった方なのですから、もともと福音はユニバーサルなものです。
全知全能の方ですから、私たちの悩みやクリスチャンの煩悶やもめ事もごぞんじのはずです。河太郎様のように疑問をもつ方は珍しくはありませんし、それだけで、神様からごらんになって、「不良クリスチャン」と言えるかどうか。
私自身は、こんなことは、神様がいらっしゃらなければ起こらないという体験をしたので、一晩で回心しました。それまで、10年近く宣教師さんと数人のクリスチャンが集う聖書の学びに出席していましたが、信仰を持つつもりは、ありませんでした。
体験がきっかけに回心したので、聖書を読んで裏付けを欲しいと思い、2010年から毎日、聖書を読んでエッセイを投稿し、今年の三月にやっと旧約聖書を読み終えました。今は、新約聖書に入り、今日はマタイの福音書7章12節でした。http://genisis-a.seesaa.net/
私が言えるのは、自分で聖書を読んでみて、私をお造りになってくださった神様を確信できるようになったことです。
それは実に感謝な時間でした。人と人の葛藤や、いつまでも解決しそうもない国際情勢などを含めて、私たちは、神の采配の下にあるのだと思えるようになりました。ですから、神様からの平安と愛もいよいよ深く感じています。
神道に改宗されたとか。それはそれとして、河太郎様も聖書をお読みになって下さればと願うのです。聖書をお読みになれば、ハンターがさばかれている箇所などありませんし、あなたが神を捨てたと思っていても神はあなたを見限ってはおられないことがわかると思いいます。親なら自分の子供から縁を切るといわれても、子供を思う心は変わらないでしょう。聖書のいたるところに記されている神の思いを知っていただきたいのです。一応、私の聖書通読エッセイのURLを記させてください。2600を超える記事数ですから、気が向けばクリックしてくだされば感謝です。http://vineyard1.seesaa.net/
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