きょうは、洗礼式がありました。
20歳くらいのお嬢さんで、すでに弟さんやお母さんはクリスチャンです。
今日はお兄さんも見えていたので、家族全員がクリスチャンなのかもしれません。
あいまいな紹介しかできないのは、100人以上の会員がいて、
日曜日に顔を合わせるだけでは、あまり話をすることもないため、
また、最近では教会もプライバシーなどの問題に敏感で、
互いに了解し合わないと、個人情報は公にしないためです。もちろん、わかっていても
このようなブログで全部書くかどうか考えなければならなでしょう。
私が、町田クリスチャンセンターに出席し始めたころは、教会員名簿を無条件にいただいたのですが、
もう8年間くらい、名簿は出ていません。一応、年代ごとにゆるやかなグループがあって、
その仲間内では、電話番号や住所、メールアドレスなども交換します。
それらを使って、冠婚葬祭のときの連絡網もあります。
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洗礼の時、受洗する人は、すでに儀式用の白衣に着替えて、礼拝に出ています。
牧師は、説教が終わると、みんなが讃美歌をうたっている間に白衣に着替えて再登場です。
受洗者は牧師の前で、聖書に基づいて、信仰の誓いをします。
天地をお造りになった父なる神と、御子イエス・キリストを主と認めますということと、
教会の決まりに従って、教会生活を送るという2点です。
そののち、信仰告白と受洗の決心に至った証を、みんなの前で短くスピーチします。
これは、いつも感動するのですが、とくに若い人の証は、とても原則的で感心させられます。
今日の受洗者も、幼稚園からミッション系の学校に行ったという人でした。
子供の時からキリストのお話を聞き、イエス様のことを疑ってこともなかった、
学校も、礼拝から始まる生活の中で、それでも、どこか神様と遠かったのですが、
ようやく、受洗の決心に至ったというのです。
洗礼は、礼拝堂の背後に作りつけられた洗礼槽で行います。
温水が満たされていて、一瞬ですが、頭まで水のなかに浸けられます。
体調や年齢によっては、着衣のまま、またベットに横たわったままできる滴礼を行います。
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終了後、花束を受けて、家族写真を撮るみなさんの晴れやかな顔は、いつ見ても、ほんとうに
心揺さぶられます。
もちろん、クリスチャンになっても、この世の問題と無関係になるわけではありません。
受験の失敗や、失恋や、時には、離婚や、病気の問題にも直面するかもしれません。
でも、どんなときにも、神様がともにいて下さるという確信、
ことあるごとに「お祈りができる」「お祈りをすれば応答してくださる」お方がいるというのは、
長い人生で、
どれほど大きな「救い」であり、「喜び」となり、「平安」をもたらすでしょう。
とはいえ、信仰は、頭で理解して、あるいは、なんらの計算で入ることなどできないものです。
正統的キリスト教会では、神様が働かれて決心を促されるものと信じていますから、
人為的な説得や強制は、いっさいありません。
今年も、年間を通じて、4人が受洗しましたが、引っ越しや、留学などで教会を離れていく人もいます。
日本のクリスチャン人口の少なさは、よく話題になります。
それだけに、真実な信仰姿勢の信徒が生み出され、
末永く、つまずくことなく神様に従ってほしいと、祈るのです。