ノアの小窓から

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人の道を歩む

2017年12月18日 | 聖書


「神の国」キリストの教えの中心をやさしく語る
 の著者佐々木正明牧師の最近のブログの記事から、ご紹介させてください。




折々に想うSeeSaaブログ
季節や出来事、人との会話に触発されて想うことを、とりとめもなく書き記します。


2017年12月17日
    人の道を歩む

  猫には猫の生き方があり、犬には犬の営みがあります。猫が山羊のように生きることはできませんし、犬が馬のように生きることもできません。それぞれの生き方は、神がお定めになったのです。同じように、人には人の生き方があります。人の道は神がお定めになったものであり、その道に従って歩む限り、人は幸いに人生を送ることができるのです。人の不幸は、神のお定めになった人の道から、外れてしまったことによるのです。人の道に戻ることが、この上なく大切です。

 神がお定めになった道は決して狭いものではなく、広い道です。かなりの選択肢があり、多くの変化に満ちているものです。しかし、そこには基本的な二つの定めがありました。それは神を敬って生きることと、人を愛しながら生きることです。


Ⅰ. 神を敬う

 人の道の第一は、自分をお造りになった神との関係を正しく保つことです。それを聖書は、「神を愛する」と表現しています。日本語では、むしろ「敬う」とか、「敬愛する」とか、「お慕いする」とすべきかも知れませんが、ひとつの言葉では言い表すことができない、深い感情とその感情に根ざした生き方をすることです。

 人間を造り、生かしてくださっている神を敬い、畏れ、崇め、感謝し、お仕えし、信頼し、甘えることが、人間にとってもっとも大切なことです。自分がこのような存在として造られ、命を与えられ、生かしていただいていること。美しい自然の中に置かれ、必要なものを与えられていることを感謝し、そのように配慮してくださった神を畏れ敬い、そしてそのやさしさに甘えて生きることです。

 私たちの神に対する感覚は、人間の罪による堕落のために、かなり鈍くなり、薄れてあいまいになっていますが、幸いにも、私たちの神に対する感覚と知識は、イエス・キリストの救いを受け、神との関係を修復されつつあるいま、だいぶ回復しています。しかしまだまだ不充分です。毎日の生活の中で、もっともっと神を感じるような生き方をしなければなりません。それは具体的に可能なのです。神が道を備えてくださったからです。

 いつも神を想い、感謝を捧げながら生活しましょう。私たちの中にある、神に対する想いをもっと強め、高め、深めるのです。すべてのこと一つ一つの背後に神のみ手を認め、感謝し、祈り、賛美しながら生きることです。美しい自然を美しいと喜ぶだけではなく、その自然を与えてくださった神に感謝しましょう。美しいものを美しいと感じる心を与えてくださったことにも、深く感謝しましょう。あらゆる出来事の中に、神の配慮を認め、感謝を強くしましょう。

 そうすることによって、私たちの神に対する感覚は鋭くなり、神が明らかに感じられるようになります。すると、私たちの信仰に現実感がまし、喜びと感動と平安が増し加わるのです。私たちは神に愛され守られているという事実を、言葉や教えとして知るだけでなく、本当に実感できるようになるのです。


Ⅱ. 人を愛する 

 人の道の第二は、人間が互いに愛し合って生きることです。互いに隣人の幸せを願い、そのために努力することです。互いに助け合い、協力し合って暮らすことです。神に似せて造られた人間は、本来、互いに愛し合いながら生きるようにされていたのです。和の中に喜びを持ち、幸せを感じられるようにされていたのです。人間が愛し合いながら幸せに生きる姿を、神もまたとてもお喜びになるのです。

 ところが、罪によって堕落した人間が作り出した社会は、不和の世界になってしまったのです。隣人を愛するよりも、自分を愛することを大切にしてしまったために、人間の世界は乱され、混乱と錯乱の中に投げ入れられてしまったのです。

 幸いに私たちはいま、キリストの救いに与り、大きな神の愛で愛されていることを知り、愛することを学びなおしました。はじめから、愛し合うように作られていることを教えられ、愛し合って生きることがどんなに幸いかを、学ばされています。そして神の愛を実感するごとに、自分たちの愛が強められ、愛することができるようにされています。愛を、もっともっと実践していきましょう。毎日の暮らしの中で、努力しながらこれを生かして生きるのです。そうすると、もともと神に似せて、愛し合うように造られている私たちは、もっともっと愛し合うことができるようになります。互いに愛し合える世界は幸せな世界です。

 愛は使えば使うほど増えるものです。愛すれば愛するほど愛は大きくなります。愛せないものを愛することによって、愛はますます強くなり、さらに愛せないものをも愛することができるようになるのです。人間の幸せのためにご自分を犠牲にされたキリストの命をいただき、そのキリストの姿を模範に生きていきましょう。今や私たちの愛は、キリストの愛によって再び生かされ強められ、愛し合うことができるようにされているのです。

 私たちは人として生まれて来ました。人として生きていきましょう。自分らしく生きるということが、しばしば自分勝手な生き方につながりますが、人間としての生き方をすることのほうがもっと大切なのです。








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