ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

聖書に見る美貌16 ヤコブの二人の妻

2016年11月16日 | 聖書



      イスラエル民族は、アブラハムという遊牧民の族長が、その始まりです。
      彼はユーフラテス流域のハランという場所に父親など大家族で住んでいたのですが、 

      ある時、神がアブラハムに命じるのです。
      「あなたは父の家を出て、わたしの示す地へ行きなさい。」
      そこで、アブラハム(当時はアブラムと言いました)は、妻のサラ、甥のロトと家畜とを引き連れて、
      示されるまま、カナンにやってくるのです。カナンは今のパレスチナです。

          

      さて、このアブラハムと妻サラとの間に、息子イサクが生まれ、
      イサクに妻リベカとの間に、エサウとヤコブという双子の息子が生まれたのです。

      彼らの文化の伝統で、双子であっても家督は長男エサウが継ぐものとされていました。

      しかし、ヤコブは、なんとか家督を得たいと思い、彼をひいきにしてくれる母リベカと
      ある計略を実行して、家督をモノにしてしまいます。

      その結果、激怒した兄はヤコブを殺そうとします。
      ヤコブは、ひとり荒野を逃げるのです。
      目的地は、母リベカの故郷、祖父アブラハムの出身地であるハランでした。

      そこには、リベカの兄が住んでいて、とりあえず落ち着くことができるはずでした。

      無事伯父の家に着いて、一か月ほどたった時、叔父ラバンが言いました。


          「あなたが私の親類だからといって、ただで私に仕えることもなかろう。
          どういう報酬が欲しいのか言ってください。
          ラバンにはふたりの娘があった。姉の名はレア、妹の名はラケルであった。

          レアの目は弱々しかったが、ラケルは姿も顔だちも美しかった。
          ヤコブはラケルを愛していた。それで、「私はあなたの下の娘ラケルのために七年間
          あなたに仕えましょう」と言った。
      
          ヤコブはラケルのために七年間仕えた。ヤコブは彼女を愛していたので、それも
          ほんの数日のように思われた。
                            (創世記29章15節~21節)
     

      ヤコブは愛するラケルのために、七年間、いわば「ただ働き」をするのです。
      引き換えに娘をもらうのですから当然かもしれません。当時は、
      女性と結婚するためには、花嫁料(結納金)を彼女の父親に払うならわしでした。

      ヤコブは、七年間でさえ、ほんの数日だと思えたというのです。
      
      結婚の祝宴をしてもらい、ヤコブは、晴れて、ラケルと床を共にするのです。
      ところが・・・。

      朝になって見てると、初夜を過ごした相手が、姉娘のレアでした。

      抗議するヤコブにラバンは答えます。
      「我々のところでは、長女より先に下の娘を嫁がせるようなことはしないのです。」

      伯父は一週間後に、ラケルも与えようと言ってくれます。

      こうして、ヤコブの結婚は、最初から、波乱含みのスタートとなりました。

               

      何より、不幸だったのは、二人の妻を持つことは、ヤコブの本意ではなかったことです。
      ヤコブは美しいラケルを愛していました。

      当時のオリエントのならわしに従って、ヤコブは二人の妻をできるかぎり公平に扱ったようです。
      しかし、人間の感情は、規則通りになりません。
      やがて、レアには、次々と息子が生まれました。
      一方、ラケルは、なかなか子を授かることができません。

      息子を生んだレアは、「これで夫も自分を大切にしてくれるだろう」と思うのですが、
      どれほどたってもヤコブは、レアよりラケルを愛していました。

      これは、レアにとっては苦しみでした。
      いっぽう、夫の愛は姉よりも自分にあると思うラケルも、不妊の自分に苦しみます。
      ラケルは、自分の奴隷女をヤコブに与えて、彼女に子を産ませるのです。
      奴隷女の産んだ子は女主人の子だと、考えられたからです。

      すると、レアも対抗して自分の奴隷女をヤコブに送ります。

      今の時代から考えると、何とも壮絶な女の戦いですが、
      もとはといえば、ラケルが美しくて、レアがそうでないところに原因がありそうです。

      ともあれ、こうして、ヤコブは、12人の息子を得るのです。

      後のイスラエル12部族の始祖となった者たちです。
                                       (つづく)

                                   









ぶどう

2016年11月15日 | 聖書



    きょうは、思ったより暖かかったですね。

    髪を切りに出かけたのですが、ちょっと疲れました。

    美貌については書けません。

    ぶどうをひと房どうぞ。





        








聖書に見る美貌16 「人はうわべを見る」

2016年11月14日 | 聖書




     ふつう美貌は、女性においてより大きく意識されています。
     女性の美しさは、何か絶対的な価値のように話題になることが多いのです。

     私は、聖書における美貌について、まず「美しい男性」を見てみました。

     男性にとって、美貌がどのように意味があると聖書はみているのか。
     一口で言って、「人気取り」です。
     イスラエルに王制が導入されるまでは、リーダーの外見はほとんど触れられていないのです。
     モーセやヨシュアが美貌でなかったとはいえませんが、少なくとも。民を導くリーダーとして
     問題ではなかったのです。
     彼らにとっては、民の支持は必要でありませんでした。
     弱くて無知な民を導かれるのは神で、神の圧倒的な力こそが
     民を約束の地に導き入れることができたからです。

     いっぽう、王制は、そもそも民がその王を支持し、命令に従って動くことが原則です。
     王には、神のような奇蹟や不思議を行う力はありません。
     民の支持をえるためには、民からの人気を勝ち取る必要がありました。

     ぎゃくに、美貌があれば、自分の人気を過信する理屈でした。
     ダビデの美しい王子たちに、クーデターを起こして権力を掌握しようとさせたのは、
     ある意味で、彼らの美貌に原因があったので、
     聖書がそれを記していると考えられるのです。
          

     聖書においては、美しい女性も登場しています。

     まず、最初は、イスラエル民族の始祖アブラハムの妻サラです。
     彼女は、たいへん美しかったのです。
     そこで、アブラハムが飢饉を避けて一時的に移り住んだエジプトで、彼女のことを妹だと偽るのです。
     美しい妻の夫だとわかったら、サラを欲しがる男からアブラハムが殺される恐れがあったからです。

     しかし、よりによって、エジプト王が、サラに目を止めて、宮廷に召しいれてしまうのです。

     エジプト王は、サラのためにアブラハムに多くの贈り物をくれるのです。
     アブラハムは、羊の群れ、牛の群れ、ろば、男女の奴隷、雌ろば、らくだを所有して、
     たちまち裕福になります。
     この時、アブラハムが真実を打ち明けて、贈り物を断った様子はないのですが、

     このことに、神様は激怒され、エジプト王にひどい災害で罰を与えられるのです。

       そこで、パロはアブラハムを呼び寄せていうのです。
       「なんということをしたのか。なぜ彼女があなたの妻であることを告げなかったのか。
       なぜ彼女があなたの妹だと言ったのか。だから、私は彼女を私の妻として召しいれていた。
       しかし、さあ今、あなたの妻を連れて出て行きなさい。」(創世記12章18章19章)



     サラの美貌は、エジプト王を迷わせただけでなく、アブラハムをも迷わせたのです。
     ところが、その結果、アブラハムは大変豊かな遊牧民になって
     カナンに戻っていくことになるのです。
     つまり、神は、アブラハムの妻サラ美貌を、神の選びの民イスラエルの家を
     豊かにするために用いておられる
といえるのです。





     

     

聖書に見る美貌15 ソロモン2

2016年11月12日 | 聖書



      ソロモンが美貌だったのは間違いないと、さとうは信じたいのですが、
      聖書には彼の外見について言及がありません。
      聖書は、ある牧師がいわれているように「寡黙な書物」ですから、
      ある人物について一番大きな主題に光が当てられています。

      モーセについては、イスラエル人を導く荒野の40年の苦闘です。
      モーセから、使命を引き継いでヨルダン川を渡り、
      民をカナンに入れたヨシュアは、その果敢な戦いの姿です。
      大預言者サムエルは、
      王制直前の不安定な政情の中で、まっすぐ神を見上げ、神の言葉を取り次いで、
      イスラエルを正しく導き続けた稀有の預言者です。
      サウルは、民の求めに応じて、神が最初に選ばれたイスラエルの王です。
      最初に民の前に立つ王として、民の期待がいやがおうにも表面的な風貌に注がれたのでしょう。
      大変な美男子で、イスラエル人の中でだれよりも頭一つ高い青年でした。
      ダビデも、美男子ぞろいのエッサイの家の息子でした。

               ★ ★       


      ソロモンは、古代イスラエルに空前絶後の繁栄の時代を築いた王でした。
      繁栄の甘美な果実を味わい尽くした人でした。

      彼に政治力があったので、
      この時代のイスラエル王国は、大河(ユーフラテス川)の西側から、ガザまで、
      そこに住む王たちまでを支配していたのです。
      税金がたくさん入り、軍備は充実し、王の私生活も大掛かりで贅沢でした。
      妻が700人そばめが300人もいたと記録されています。

      彼はたんに、お金と女性と政治に満足する王ではなかったのです。


         彼は3千の箴言を語り、彼の歌は1500首もあった。(Ⅰ列王記4章32節)

         彼はレバノンの杉の木から、石垣に生えるヒソプに至るまでの草木について語り、
         獣や鳥やはうものや魚についても語った。(同33節)

         ソロモンの知恵を聞くために、すべての国の人々や、彼の知恵のうわさを聞いた国の
         すべての王たちがやってきた。(同34節)


      ソロモンは、今でいえば高学歴で高い能力をもった人、文芸から、芸術、道徳、倫理
      博物学、さらに何よりも、神学に通じた人であったのです。

              
   
      ところが、晩年、彼が語った言葉はとても虚無的です。

         エルサレムでの王、ダビデの子、伝道者のことば。
         空(くう)の空(くう)。伝道者は言う。
         空の空。すべては空。
         日の下で、どんなに労苦しても、
         それが人に何の益になろう。(伝道者の書1章1節~3節)

         実に、知恵が多くなれば悩みも多くなり、
         知識を増すものは悲しみを増す。(同18節)


         私は、私の目の欲するものは何でも拒まず、心のおもむくままに、
         あらゆる楽しみをした。
         実に私の心はどんな労苦をも喜んだ。これが、私のすべての労苦による
         私の受ける分であった。          (同2章10節)
         しかし、私が手がけたあらゆる事業と、
         そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、なんと、
         すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。
         日の下には何一つ、益になるものはない。  (同11節)


      伝道者の書は、さほど長い文書ではないので、聖書をお持ちの方は、ぜひご覧ください。
      旧約聖書の21番目に置かれています。
             

      ソロモンが、最後に味わった虚無的な感覚は、ある意味で多くの読者を引き付けるのです。
      けれども、神の祝福を、およそ人間的には考えられないほど味わった王の、
      このような「心のありよう」を、神がお喜びになっていなかったのは事実です。

      ソロモンがどれほど、美貌であっても、神さまの目からは、、
      彼は年を経るにつれ、醜くなっていたといえるでしょう。



      


         

聖書に見る美貌14――ソロモン

2016年11月07日 | 聖書




       全く聖書を読んだことがなくても、ソロモンという名を聞いた方は多いのではないでしょうか。

       「キング・ソロモンの秘宝」など、夢のある冒険物語の映画が作られています。
       また、ソロモンの秘宝が日本にまで運んでこられて、四国のどこかに眠っているなどと
       まことしやかな「伝説」もあります。
                
       さて、ソロモンは、確かに大金持ちでした。巨億の富を築いた王でした。
       古代イスラエルの三代目の王で、ダビデ王の7番目の息子でした。

       彼はBC971年に、王位に就いています。
       ソロモンが何歳で王位に就いたのかはわかりませんが、
       彼はエルサレムで四〇年間、王であったと、聖書に、記されています。
       父ダビデ王の揺るぎのない神への姿勢と、果敢な戦いの時期を経て、
       イスラエル王国はようやく安定期に入っていました。

       ソロモンが王位に就いた頃のイスラエルは、周辺国との間に平和な関係が結ばれ、
       彼は戦いより、政治的折衝や商業、貿易によって平和を維持し、多大の富を集めるのです。

       ソロモンが「美貌のもちぬし」だったかどうかはわかりません。

       ダビデの家が美貌の血筋であり、ソロモンの母バテ・シェバは、
       ダビデがその色香に迷って、姦淫の罪を犯した相手です。
       
       ダビデがバテ・シェバを見つける場面は、次のように描写されています。

         ある夕暮れ時、ダビデは床から起き上がり、王宮の屋上を歩いていると、ひとりの女が
         からだを洗っているのが屋上から見えた。その女は非常に美しかった。
                           (旧約聖書Ⅱサムエル記11章2節) 
       
       彼女は、宮殿にいるダビデ王の目に着くように、屋上で水浴びしていたのです。
       王を誘惑するような野心家の女性だったとも考えられます。


                  


       バテ・シェバは、早くから宮廷の重臣たちとのつながりをつくり、
       ダビデ王に、息子ソロモンの王位を約束させるのです。

       アドニヤがクーデターを起こしてまで、即位式をしようとしたとき、
       バテ・シェバは、すぐさまダビデに直訴し、
       ふたたびソロモンを後継だとダビデに宣言させるのです。

       政治力に長けた母親を見て、また複雑な宮廷の力関係の中で、
       多くのライバルを押しのけて三代目の王になったソロモンは、
       素晴らしい知恵と叡智の持ち主でした。
       何よりも、深い信仰の持ち主でした。

       古代イスラエル王国では、もともと神聖政治国家でした。
       王は、神から民をまとめ、国を指導する役割を与えていただいているだけで、
       王も神のしもべであるという自覚が必要でした。

       その意味でも、若い日のソロモンは、模範的な王でした。
       父王の遺志だった神殿を建設し、宮殿を新築し、国土を広げ、富を蓄え、
       イスラエルを栄光の大国にしました。


       しかし、繁栄が、彼をつまずかせました。

                                  (つづく)