孫達三人。
孫が見れるとは思っていなかった。しかも三人も・・・・。
大体、娘が結婚するとは思っても居なかった。逝った病気持ちの次女のことばかりが頭にあって
長男長女の結婚のことを心配する余裕がなかった。
そこに地震、息子のパニック症、夫のウツ、私のパニック症、乳癌、股関節の手術、母親の事等。
今、考えると、必死で生活していた気がする。
いろいろあったけど、全部自分のせいだと心で泣いてばかりいたし
長い間、間違った新興宗教にしがみついていた大きな罪を犯していた私。
しかし、神様は見捨てず、聖霊様を通して、救い主であるイエス様への信仰を導いてくださった。
やっと今「これでいいんだ、あの時もあれでよかったんだ」と思えるようになってきている。
今生かされている有り難さが、毎日感じられる。
私達は「生きている」のではなくて「生かされている」・・・・
何もかも神様から与えられて生かされている。
空気も水も、自分で働いてもらったお金も健康、知識 知恵が与えられたが故に・・・である。
わたしたちが真の神様に背を向けていたり、それに伴う罪を犯していて
そのままなら絶対に死と血で贖わなければならないのだ。
死ななければならない全人類の罪を背負って神の御子イエス様が
苦しんで苦しんで十字架で多量の血を流して死んでくださった。
そのことによって、我々は天国に行ける道を示された。
しかし、その道は狭い道であり自力で見つけることは出来ない。
イエスの霊である聖霊様によって、こころと霊が導かれ
「イエスは主です。」と心から宣言しなければならない。
主は言われた
「わたしが道であり,真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」ヨハネ14:6
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デモ自分はいろいろとややこしいことや自責の念に襲われることも結構あるのである。
肉の身をもっているゆえだが
天のお父さま(創造主)イエス様、聖霊様に委ねる練習をいまだにしている。
残り少ない人生を委ね、主を見上げながらゆっくりでも歩みたいと思う毎日である。
私は岡山の田舎の小さな教会(スウェーデンミッション系のプロテスタント)の牧師です。
こちらのブログを私のブログのリンクに加えさせていただきたいな、と思いました。
よろしいですか?
主にある一歩一歩が、これからも平安と恵みに満たされますように。
よいクリスマスシーズンを!