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孫の修太郎君
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孫の次男修平君
やんちゃでわがままで中身は小憎らしいので
ママは大変だが(パパもよーやっている)
外見は何とも可愛らしい。
この下に妹ができるというのに
未だに夜中にママのおっぱいの争奪戦をして
ママは寝不足だそうだ。
子育て中って、時がすぎて思い出そうとしても
子ども自身のことも、世相も
自分の状況も、殆ど思い出せないものである。
(主イエスのノートにはみな記されていることであるが)
それほど大変だったこと、普通とはチョット違う厳しい経験にあって
幾度となく崩れそうになるのを支え励まし
やり遂げさせてくださったのは、主なる神、イエス様、聖霊様が
見えない手で助けてくださったからにほかならない・・・・と
今、思えるのである。
(その時はクリスチャンではなかったが・・・・・)
あのしんどかった時を我力、人力で切り抜けられたとは
到底、思うことができないもの。
そして、時が満ちて、主イエスに出会わせてくださった。
【以前の全ての罪をゆるす。わたしについてきなさい】
そういわれたのだ。ハレルヤ。
今思い出しても涙があふれる。
病気だった末の子は、今は
大好きだったイエス様のそばにいる。
とても楽しそうに、飛びたかった空を飛んでいるかもしれない。
人生の荒野には何度でも行かされる。
その都度、信仰が深くなり、神の存在を実感させてもらえるのであろう。