駅前に良さげな喫茶店が無い。
私は昔ながらの喫茶店を望む。
東京にいた頃は自転車を走らせると良さげな喫茶店があった。
美味しい珈琲を淹れてくれるロッジ風の喫茶店だった。
子供の頃から物を書くのが好きだった私は国語辞典と原稿用紙と鉛筆と消ゴムを持ってその喫茶店に行った。
珈琲やケーキや軽食を食べながら原稿用紙に何かを書いていた。
玉川上水沿いのその喫茶店は今でもあるのだろうか?
あの辺りはファミレスもあった。
いかにも作家は原稿用紙を持ってコジャレた喫茶店で原稿を書くのだろうと想像していた。
売れない作家も喫茶店で原稿を書くのだろうと…。
山小屋風のその喫茶店は吹き抜けで2階もあった。
ところが昨今喫茶店と言われるものはコーヒーショップになり、チェーン店になり、味気なくなった。
一杯の珈琲をゆっくり味わうこともなく、飲んだら席を立ち帰るのだ。
チェーン店特有のどの店も同じ味の珈琲を淹れる。
似たような造りのそれらの店は風情もなく、落ち着いてゆっくりする間もなく、帰るのだ。
あの憧れの喫茶店はどんどん姿を消して行く。
ましてや原稿用紙等は持参すら出来ない。
飲んだら帰るのだ。
次のお客に席を譲るのだ。
素敵なマスターのいる喫茶店や素敵なママさんのいる喫茶店は遠い昔の話ですね。
チェーン店の喫茶店で今はマスクをしながら珈琲を飲む時だけマスクを外して、飲み終えたらさっさと席を譲るのだ。
和める喫茶店は遠い昔の話ですね。