ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

いつかどこかで誰かと和みたい

2021年02月25日 | 介護
いつかどこかで誰かと和みたい。
コロナが収束したら和みたい。
マスクのないマスクをしない生活を暮らしを取り戻したい。
マスクで荒れた口元に、アルコール消毒で荒れた手にさよならしたい。
大声で笑い談笑をしてみたい。
フェイスシールドの無いところで思いっきりカラオケをしてみたい。
大きな声で歌ってみたい。
母の介護が無くなれば旅行だって行ってみたい。
温泉も行ってみたい。
レストランで料理店で気軽に気兼ねなく食事をして、会話をしてみたい。
隣の他人とのフェイスシールドを取り除きたい。
向かいの他人とのフェイスシールドを取り除きたい。
自由に電車に乗りたい。
おしゃれをしてシャンソニエにも行きたい。
いつかどこかで…。
マスク越しの会話に、マスク越しの笑いに…。
木馬亭にいったらテロップでなく大声で掛け声をかけたい。
マスクを外して写真を撮りたい。
笑顔の写真を撮りたい。
遠慮がちに距離を置いて話をする。
マスク越しに会釈をする。
一口食事をしたらマスクをするのは嫌だ。
一口飲んだらマスクをするのは嫌だ。
どこへ行っても入り口でアルコール消毒を即され、促される。
入り口で検温があり、マスク無しでは入れてもらえない。
群れる。
騒ぐ。
今はどれも禁止だ。
学生は剃っ業式さえやれるかどうかわからない。
リモートかもしれない。
卒業旅行も無理だと思う。
密になる。
密になる。
なんだか遠い昔のように思えるのだ。
公に結婚式が出来ない。
友人や親せきをよべない。
簡素化された家族葬にはお清めの席も無いのだ。
子供が生まれる。
立ち合い出産は出来ないのだ。
病院に面会に行けないのだ。
新生児室をガラス越しに見ることさえも許されないのだ。
他の病気やけがで入院しても面会は許されないのだ。
病院の受付で着替えを渡して洗濯物と交換するのだ。
嫌なご時世だね。
夜の7時半に飲食店に入ったらオーダーストップだった。
近所の生協の閉店時間が夜の8時から7時になった。
閑散とした夜の街に人影はまばらだ。
いつか平和で穏やかな日々が来ますように!
みんなの心に明るい日差しが差し込みますように!

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結局元に戻るんです

2021年02月24日 | 介護
結局元に戻るんです。
私が浪曲ファンになって約3年近くに経ちます。
木馬亭や日本橋亭や広小路亭でいろんな浪曲師の浪曲を聴きました。
皆さん頑張っていて素敵ですね。
時々他の浪曲師に目がいきますか、結局元に戻るんです。
最初に惚れた師匠の声に戻るんです。
あの声と動作と節と啖呵に戻るんです。
一番聞きなれているので元に戻るんです。
この頃は一声二声聴いただけでその日の体調もわかるようになりました。
遅くにファンになったので、他のファンの他人よのうに師匠の浪曲をたくさん聴いてはいません。
ですから、私の残された人生はたくさん師匠の浪曲を聴いてあの世に行きたいのです、
せっかく応援するならお弟子さんも応援したいのです。
でも、人間だから他の浪曲師の方にも素敵だなと思うことも多々あります。
そうなんですよ。
シャンソン歌手ではクミコさんが好きですが、クミコさん繋がりで他のシャンソン歌手も好きですからね。
クミコさんに出会うまでは島倉千代子さん一筋でした。
でも回りを見たら他にも素敵な他人はいるんですね。
浪曲は楽しいですね。
泣いて笑ってためになります。
歴史や文学も学べます。
ただ、地元の友達は行きたがりませんね。
付き合ってくれるのは主人だけです。
主人は寝ているようで聴いています。
その証拠に、帰りには二人で浪曲談義をします。
私より詳しいかも知れませんね?
ほぼほぼ嫌いな浪曲師がいません。
皆さん頑張っておられます。
曲師は多少好みがあります。
大きな声を出す曲師は好みではありません。浪曲師より少し控えめの曲師が好みです。
どちらかと言うと関西の曲師は沢村さくらさんと虹友美さんしかきちんと聴いたことが無いので何とも言えませんね。
浪曲師は良く声が通る苦しく唸らない浪曲師がいいですね。
聴いていてこちらまで苦しくなります。
地元のお友達がいつか浪曲聴いてくれるといいな。
帰りに浪曲談義が出来るといいな。
皆さん私より年上なのに、何それ?見たいな他人が多いですからね。
理解してくれているのは主人だけですね。
今やお年寄りの趣味では無いのにね。
一人でもファンを増やしたいと思います。
皆さん浪曲聴きませんか?
一緒に浅草の木馬亭に行きませんか?

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都民寄席に行く

2021年02月23日 | 介護
池袋に着くとなぜか原因不明でお腹を壊した。
駅のトイレに駆け込み、その後ルミネのトイレにも駆け込み、マツキヨでストッパーまで買って飲んだ。
入場が12時からなので主人とお茶を飲み時間をつぶした。
会場に入れない主人は書店で時間をつぶすと言う。
会場に入ると私の席はことのほかいい席だった。
会場は電波がつながらないのでロビーに出て主人に大体の終演の時間を告げる。
会場にいつもの木馬の顔なじみはいなかった。
来月は生で師匠の浪曲が聴けないのだから楽しんで帰ろうと思う。
一番手の港家小ゆきさんから良かった。
二番手の東家一太郎さんも相三味線の美さんと息の合った浪曲を聴かせてくれた。
その後澤孝子師匠が出てきて「猫餅の由来 左甚五郎伝」をおやりになりました。
とてもいい浪曲でしたね。
いい節、いい声でした。
私の出したテロップの掛け声に気が付いてくれてうれしかったです。
その後お目当ての雲月師匠が出てきて「徳川家康 人質から成長まで」を熱演されました。
終演後、私たちはお昼も食べていなかったので、食事をすることに…。
入ったお店が博多鉄鍋餃子のお店で、
出てきた餃子が最悪でした。
そもそも鉄鍋じゃあ無かったし、小ぶりの餃子で中がスカスカです。
鉄鍋餃子は元々小ぶりですが、皮から中身が出てくる始末です。
主人が頼んだコロッケもいかにも冷凍食品のコロッケを揚げたようなコロッケで不味かったです。
その後、千房でお好み焼きを食べてお腹を満たしました。
そしてデパ地下でお使いをして帰ってきました。
帰ってきたら疲れているのか?
持病の耳鳴りがひどいです。
両耳に蝉1万匹です。
主人は耳鳴りが無いので、話をしてもわからないようです。
もう26年も耳鳴りとお友達です。
あっ、お腹はストッパーで治りましたよ。
治らないのは耳鳴りです。

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食器無し生活

2021年02月22日 | 介護
ここ数日食器無し生活を続けている。
不便と言えば不便だが、何とかなるものである。
ガラガラの食器棚にお茶碗とお椀と湯呑とマグカップが並ぶ。
小皿も取り皿も小鉢も大皿もどんぶりも無い。
まるで戦後の焼け野原に立てたバラックでの食事のような日々が続く。
どうせ中途半端なちぐはぐな食器など無くて良かったよ。
みたいな生活をしている。
物の抱負でなかった時代を思えば食器が無いだけなのでまだましだ。
母は他の物を処分してほしいらしいので、そのうち布団やら家電製品を処分してしまったらどうなることかと思う。
以前鍋が多いと言うので処分したら「鍋が無い」と、言いだして小鍋を買った。
フライパンも多いと言いだして処分したらさすがに困ってフライパンを買った。
私の洋服も多いらしい?
数枚の服を着回ししている。
箪笥に入ら無くなれば処分している。
それすら処分したら着て行く服さえ無くなるのだ。
母は日がなどこにも行かずにベットに横になりテレビを見ている。
見ていると言うより付けている。
食器棚に最低限の好みの食器を並べて食卓を囲みたい。
温かな家庭の温かな食卓を望みたい。
私が心を込めて作った料理も母にとっては不味いようです。
私が娘だからいいものを、嫁ならどうするつもりだろう?
認知症は人それぞれです。
アルツハイマー型認知症とレビー小体型認知症ではまた違います。
若年性認知症もまた違います。
単なる物忘れもまた違います。
もはや情けないを通り越して言葉もありませんね。
外出は5分だと言われてお使いにも行けない旨を伝えると「1時間でも2時間でも行ってこい!」と、言われました。
たった5分の外出でも心配するのにね。
これじゃあ病院もどこにも行かれませんね。
とりあえず私は死ぬ気は無いのでしぶとく生きたいと思います。
母が亡くなったら本当の自由が来るので、日本中旦那と行きますよ。

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器の無い生活

2021年02月22日 | 介護
器の無い生活が続いている。
フライパンのまま出す。
鍋のまま出す。
揚げ物はバットのまま出した。
取り皿も小皿も無い。
がらがらの食器棚は悲しい。
ついには冷蔵庫の食材も少なくなってきた。
米びつの米も底をついてきた。
なるようになるさ!
なんとかなるさ!
別に金が無いわけではない。
ささやかな抵抗だ。
ストライキだ。
どうせちぐはぐな食器ばかりだった。
新しい食器を買えば怒られるから、ちぐはぐな食器ばかり使っていた。
食卓にちぐはぐな食器が並んでいた。
カレー皿もスープ皿も無かった。
トンカツもコロッケもハンバーグも天ぷらもちぐはぐなお皿だった。
新しい食器を買えば怒られるので、そのまま使う。
粗品の皿も使う。
引き出物の器も使う。
申し訳無さそうに隠れて好みのご飯茶碗だけを買う。
お箸とて相当ひどくなるまで使う。
塗りが剥げない限り使う。
五客揃いがあるのが珍しかった。
一つ欠け二つ欠け、まあ、家族3人だから3つあればいいかと…。
ばらばらの食器が並ぶ食卓に楽しいことは無いのだ。
せっかくの料理も台無しだ。
誰も器のことは言わない。
ちぐはぐな食器が並ぶ食卓に文句は言わない。
食事中の夫婦の会話に母が答える。
母に向かって話はしていないのだ。
そこには楽しい食卓など無いのだ。
母と同居して20年もこんな生活が続いている。

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