ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

父の作るすき焼き

2023年08月31日 | 日記
子供のころ父はすき焼きを作ってくれた。
関東なのにわりしたではなく、牛肉を牛脂で焼いて砂糖を掛けるすき焼きでした。
このすき焼きには車麩が入ります。
白菜、春菊、白滝、長ねぎ、焼き豆腐、車麩です。
牛肉は早めに食べないと弟に食べられます。
したがっていつも野菜ばかり食べる羽目になります。
今にして思えば関西風のすき焼きでした。
そのころは外ですき焼きを食べたことが無かったので、自宅で父が作るすき焼きはごちそうでした。
あの味付けは真似できません。
鍋も父の得意料理の一つです。
ある時、父と母が別居して私は母に付きました。
弟は父に付きました。
ちょうど冬場です。
来る日も来る日も弟は父の作る鍋料理ばかり食べさせられ、ある時風邪をひきました。
見るに見かねた母と私は父と弟の下に戻って母が料理をすることになり、鍋料理は減りました。
中身も味も違えど鍋です。
飽きるよね。
そもそも調理師の資格も無いのに保健所の講習会受けて営業許可をもらって蕎麦とうどんの店をやり、つぶして、私が20歳の時にはラーメン屋をやり1年でつぶした父です。
他人に使われるのは嫌。
自分でやればつぶしてしまう。
どんな父でも父は父です。
思えば母より良かったな。

認知症は100人いれば100通りの症状があるのかもね?

2023年08月31日 | 日記
一言に認知症と言ってもいろいろあるようです。
アルツハイマー型認知症やレビー小体型認知症やその他に分類される認知症もあるようです。
前頭側頭型認知症や脳血管性認知症と言うのもあることを知りました。
また若年性認知症のように若くして認知症になる他人もいます。
ネットではおおむね65歳以上の他人の7人に一人は認知症になる可能性があると書かれているところもありました。
誰もがなりうる病気の一つだと思います。
物忘れがひどくなる。
同じものをいくつも買ってくる。
これらは認知症の前触れかも知れませんね?
コロナ過になりマスクを良く買うようになりました。
ところがこのマスク、母にもいくつか買いました。
この間母の部屋からマスクがたくさん見つかりました。
毎回マスクはあるのに病院にしか行かない母はそのたびに「マスク」と、言うので渡していたのが出てきたのです。
もう病院は訪問診療に切り替えたのでよほどのことが無い限り行きません。
訪問診療の先生と看護師さんと私がマスクをすればいいだけです。
マスク生活やワクチン接種はいつまで続くのでしょう?
コロナ収束と言う日は来るのでしょうか?
「認知症明日は我が身だな」

薬の効果はあるのか?

2023年08月30日 | 日記
果たして母の薬の効果はあるのか?
疑問に思うところです。毎晩寝る前に幻覚や幻聴を抑制し眠剤も兼ねた薬を飲ませています。
便秘の薬と不整脈の薬と一緒に飲ませています。
ところが夜中に起きるのです。
電気を消して寝ない。
夜中にトイレに起きる。
トイレは以前も夜中に行ってました。
ところがそれ以外にも起きるのです。
大声を出すことは無くなりましたが、幻聴や幻覚はまだあります。
食事も思うように食べてはくれません。
お粥がいいとか?
普通のご飯がいいとか言います。
少量のご飯なのに残すこともあります。
食べ物の好みも変わって甘いものは食べなくなりました。
柔らかいパンも食べなくなりました。
お菓子などは隠す。
蒸しパンも隠してました。
賞味期限も切れてました。
その日の気分でお粥か普通のご飯か決まります。
炊き込みご飯は大嫌いです。
チャーハンもオムライスも大嫌いです。
果物も好みが激しく、少量出しても食べないときもあります。
痩せ細っていくばかりですね。
冷たいお茶は苦いと言って飲みません。
水道水は不味いと言い出し、わざわざミネラルウォーター買いました。
本当に困りましたね。
これでも老衰なんですかね?
老衰っておとなしくなるのかなと思ってました。
私ならおとなしく死にたいですね。
迷惑はかけない。

実母と同居してほぼ22年と3か月

2023年08月30日 | 日記
実母と同居してほぼ22年と3か月が過ぎようとしている。
その間夫婦は旅行に行っても目的を果たしたら帰ってくる。
最初の頃は母を連れて日帰りのバス旅行にも行った。
ところがこれが楽しくなかった。
たまたま私も体調を崩していた。
そもそも70過ぎての母には旅行事態が日帰りでも無理だった。
夫婦で観光旅行は皆無に近かった。
夜行バスで大阪に行った。
クミコさんのコンサートだった。
苦手な関西人と苦手な関西のクミコファンに会った。
コンサートだけで帰るつもりが、京都にも寄ることになった。
大阪のビジネスホテルに泊まって次の日は京都に行った。
京都ではさんざんな目に会った。
すっかり京都は嫌いになった。再び夜行バスで帰ってきた。
いけずな京都人の態度にこちらが悪くもないのに何度も礼を言った。
その後の旅行も目的を果たしたら帰ってくる。
石巻に3回行った。
最初は日帰りだった。
目的はクミコさんのコンサートだった。
2度目は1泊2日だった。やはりクミコさんのコンサートだった。
知り合った友人に東日本大震災の被災地の現状を案内してもらい、車の窓から見た仮設住宅に涙した。
降り立った大川小学校で涙した。
ささやかなふるさと納税もした。
3度目もクミコさんのコンサートだった。
現地でお土産を買うのも復興支援の一つです。
私たち夫婦は22年間、観光旅行らしいものはほぼありません。
日帰りのバス旅行にも2~3回行っただけです。
コンサートに行く。
ライブに行く。
浪曲を聴きに行く。
どれもその日のうちに帰ってきます。
終わったら帰る。
もはやそれさえも出来なくなりました。
介護がこんなに大変だとは思ってもいませんでした。
それ以前に母が認知症になることすら想像してはいませんでした。
目の前で見る母の幻聴や幻覚や暴言やおかしな行動はある意味衝撃的でした。
この間訪問診療の先生に母は老衰と言われたのに、老衰ならおとなしくなるのかと思えばおかしな行動と言動と大声で庭で暴れる始末でした。
まさか介護がこんなに大変だとは辛いとは思いもしなかったです。

まさかこんな暮らしを強いられるとは?

2023年08月29日 | 日記
そもそも母との暮らしが嫌で結婚をした。
母が嫌いで結婚をした。
結婚はある意味自由を勝ち取るためのものだった。
無残にもその夢は結婚して10年後に打ち砕かれた。
母との同居である。
70歳になり働けなくなった母が我が家に来ることになったのだ。
これじゃあ元の木阿弥です。
夫婦の会話に口をはさみ、私のやることなすこと文句を言います。
出かければ決まって以前のように「どこに行くの?」「誰と行くの?」「何しに行くの?」「何時に帰るの?」は定番です。
帰ってきたら帰ってきたで「楽しかったかい?」「何を食べたの?」「何を買ってきたの?」これも定番です。
芸能人好きの私はコンサートや劇場やライブに行きます。
ところが母はそれらを嫌がります。
それらにお金を使うことは良くないことだと思っています。
お金は貯金ですからね。
嘘をついて出かけてもバレます。
半ば昔からストーカーのような母でした。
娘の私の自由は認めない。
地道に働いて貯金をする。
休日は家にいる。
夜は外出しない。
余計なものは買わない。
必要最低限の買い物をする。
これらは母の望んでいることです。
習い事の類もお金が発生するので、私はパソコン教室以外はほぼ公民館の材料費だけで出来るものしかしませんでした。
カルチャースクールなどはもってのほかです。
高級品はそもそも買ったことがありません。
ブランド品も興味がありません。
私は母との同居で再び自由の無い暮らしを強いられたのです。
夜は夫婦の会話も無く寝る。
とうとう私は50歳前に更年期になりました。
近所の婦人科に通いましたが、どうもおかしいと?
他所の婦人科2か所に行き「うちに来る病気じゃあ無いよ」と言われて、その後保健センターに相談に行きました。
精神保健福祉士さんと保健士さんが話を聞いてくれ、友達にも相談して心療内科に行きました。
毎日辛かったです。
子供を産んだことも無いのにつわりのような気持ち悪い症状が出てました。
家事をする気も起こりません。
意欲低下です。
心療内科では薬を処方されました。
何度か母も一緒に行きましたが、母は自分の都合のいいように先生に話をします。
これには困りましたね。
そもそも生んでくれたことしか感謝はしていません。
育て方は間違っていたと思うのです。
母からが虐待を受けたわけではありませんが、半ばストーカーのような母でした。
今の主人と付き合っていた時もデートの内容をあれこれ聞かれました。
食べたものや言った場所はもちろん、話の内容もです。
こんなに嫌な母でも同居をして介護をしなければなりません。
何と理不尽なことでしょう?
私はいまだに心療内科に通っています。