ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

もう嫌だ❗

2021年07月31日 | 介護
もう嫌だ❗
心療内科の帰りにそのまま電車で自宅に帰ればいいものを、旦那のわがままで新宿に映画を観に行くと言う。
都内はコロナが蔓延しているのに、映画を観に行くと言う。
仕方なく新宿駅まで行くも、映画館の名前しかわからないと言うのだ。
あらかじめ場所を調べておかない。
私がスマホで検索するも、旦那は違う方向に行こうとする。
何度言っても違う方向に行こうとする。
私のスマホで検索すればいいものを、それすらしない。
仕方なしに旦那の行く方向に歩く。
お昼も食べずに歩く。
私も頭に来て旦那に当たってしまった。
旦那はいつもそうなのだ。
行くところだけ決めて目的地までの道順を調べない。
だから私たち夫婦は道に迷い、ついには方向音痴のレッテルまで貼られる始末です。
事前に下調べは必要ですね。
そんなこんなでやっと見つけた映画館ですが、上映時間まで時間があるので、とりあえずトイレに入り出てきたら旦那がいません。
待てど暮らせど旦那がいません。
仕方なくビルの1階に出て、待ちましたが、旦那は姿も見えません。
もう一度地下の映画館に行くと旦那がいました。
益々私が切れたのは言うまでもありません。
その後目の前のビルの地下のお店で遅い昼食を食べました。
すっかり体調の悪い私はおとなしい旦那に当たってしまいました。
どこかへ行くなら下調べは必要ですね。ましてやコロナが蔓延しています。
出来れば自宅に帰るべきでしたね。

人間は嫌だ❗

2021年07月31日 | 介護
もう、人間は嫌だ。
なぜ世の中は理不尽ばかり生じるのか?
自分さえ良ければの他人の集まりなのだから仕方がないと言えば仕方がないのだ。
母親に管理された生活に嫌気を指し、理不尽だらけの世の中に嫌気を指し、人間でいることに飽き飽きしている。
他の生き物に生まれてくれば、嫌な思いもせずに、しがらみも無くて良いと思う。
思い通りにならない人生を今さら嘆いてみても仕方がないと…。
つくづくしがらみも何もなく生きている他人が羨ましく思えてならない。
好きなことを好きなようには私の場合は無理に近いのだ。
母親に管理された生活からの脱却も無理に近いのだ。
大空を自由に飛び回る大きな羽根が欲しいと思う。
いつまでたっても母親の手の中で囲われている生活に嫌気が指している。
さりとて死ぬ勇気も持ち合わせてはいない。
つくづく好き勝手に自由に生きている他人が羨ましく思えるのだ。
箸の上げ下ろしよろしく、重箱の隅をつつくように母親にあらゆることを指摘され生きてきた身の上に真の幸せなど無いのだ。
もしも子供を持ったらそんな母親になるまいと決めてはいたが、残念なことに子宝に恵まれず、世間からは女も失格のようなレッテルを貼られて、悲しい思いもしている。
女性に生まれてきたら当然のように結婚して子供を産み育てることがいまだに当たり前のような風潮があるのも事実です。
結婚も出来ずに子供も産めない女性はまるで女性ではないような思いをされ、終われているのも事実です。
ごく一部の他人のそのような考え方や意見がいまだに世の中にははびこっているのです。
他人にコロナ禍だからスティホームでオリンピックを応援しましょうと言った本人は外出し、何がスティホームなのかと、私は疑問を投げ掛けているのです。
密は避けましょうと言われても、車のない、免許もない我が家は必要に迫られて電車に乗っているのです。
車のある他人は人混みを避け、自然を満喫し、楽しんでくるのです。
そこに生じる矛盾はどうしたらいいものかと?
この頃思うことは世の中に対する生きづらさであります。

世の中矛盾だらけですね

2021年07月30日 | 介護
この世の中は矛盾だらけですね。
なんと自分さえ良ければの他人ばかりなのでしょう。
相手の気持ちを思いやる。
そんな他人は少ないですね。
特に多いのが何の苦労もしがらみも無い他人の言葉ですね。
例えば介護の経験が無い。
大病をしたことが無い。
お金の苦労が無い。
独り身である。
等ですね。
ところがそこに旦那や子供や孫や嫁や両親がいたら話しは別です。
尚且つ仕事を持っていれば尚更ですね。
家族や両親や仕事を犠牲にしてまで他のことに心血を注ぐと言うのは無理ですね。
ところが何のしがらみも無い他人は得てして相手の気持ちや心に寄り添えない他人が多いんです。
自分さえ良ければの他人ですね。
そして、いろんなしがらみを抱えている他人は無理をするんですね。
自分が楽しくなくても楽しい素振りはします。
無理やり相手に合わせちゃうんですよ。
自分を犠牲にするんです。
あなたはどんなタイプですか?
私はついつい自分を犠牲にしがちです。
相手が満足すれば自分は楽しくなくてもいいや!の口ですね。
それで63年間損をしてきました。
本当に楽しいことはほんの一握りしかないんですよ。

天候に左右される体調

2021年07月30日 | 介護
時折集中豪雨と雷です。
こういう天気の日は気分がすぐれませんね。
公民館に行く時間まで横になっていようと思っていましたが、何もしない家族です。
お昼ご飯も自分達で用意して食べようともしません。
仕方なく、重い腰を上げてお昼を用意し、声をかけたら、椅子に座ってご飯をよそってくれるまで動きません。
仕方なくご飯をよそり、食べてもらいました。
この分でいくと、私がコロナワクチン2
回目で副反応の高熱が出ても、家事を強いられるのだと思います。
とかく私の病気は天候に左右されやすいのです。
誰に話しても理解はしてはもらえません。
雷が鳴り、集中豪雨です。
鬱陶しい気候に体調は左右されるんです。
こういう時には優しい言葉と思いやりと労りが必要ですね。
とりあえずギリギリまで横になって公民館に行こうと思います。
こうなったら高熱でも意地で家事をしようと思います。

差別と偏見のない社会

2021年07月30日 | 介護
日本はまだまだ差別と偏見があると思われる。
例えば身体的に何らかの障害を持っていると他人によっては差別を受け、偏見を受ける。
差別用語はいまだに他人によって使われている。
公の書類や何かの書類を書く時には男か女か選択しなければならない。
身体は男でも心が女やその逆であってもどちらかを選択しなければならないとすると、そこには矛盾が生じると思う。
男女差別を失くし、誰もが生きやすい社会を作ることはこれからの世の中に求められるものだ。
障がい者であろうと性的マイノリティであろうと誰もが生きやすい世の中を作ることは大切だと思う。
障害があろうが無かろうが世の中にはいまだに差別と言うものが広がっている。
目が見えない、耳が聞こえない、身体的に何かの欠損があるなどは他人によっては「かわいそうな他人だ」と、奇異の目で見られる。
もしも自分がそのような立場でそのような目で他人から見られたらどんな気持ちになるだろうか?
どんな人もこの世に生を受けたなら一人の人間なのだと思う。
私は勉強が出来ないということとブスだということだけでさんざん辛い思いを強いられてきた。
何らかの病気で精神科に通っていると言うだけで、その他人は発狂したり刃物を振り回すのではないかと思う他人がいまだに居ることは事実です。
それはごく一部の他人だけで、多くの他人はきちんと病院に通い、または入院して先生の指示通り服薬すればそんなことは無いのだ。
なぜ?差別は生まれるのか?
私は子供の頃から周りに障害者がいたので、気にも留めなかった。
母方の祖父は子供の頃の火傷がもとで左手の指が親指と人差し指しか無かった。
また母の下宿先のおばあさんは盲人だった。
その他にも親戚中いろいろな障害者がいたので、気にも留めていなかった。
子供の頃に住んでいた雑居ビルのマンションの1階におなべの店があったが、おなべの店だと知ったのは中学生になってからだった。
おなべと言っても鍋料理の店ではない。
女性が男性のかっこうで接客する店である。
高校の同級生に自閉症の子がいたが、気にも留めていなかった。
20年近く前に友達が近所に精神障がい者の小規模作業所を作った。
私の家が近所だとわかると、ボランティアをしないかと言われて、ボランティアをするようになったらそのうちボランティアをでは悪いからとパートで働くことになった。
パートで働いているうちに母との同居もあり、更年期から病気になったのだ。
仕事に支障をきたすようになり、私は仕事をやめた。
病気が快復するとバザーのボランティアに加わるようになった。
友達はそれ以前にご主人の病気や娘さんのこともあり、そこを別の他人に任せて退いた。
友達はご主人の介護から解放されると息子さんのところへたびたび行くようになった。
たびたび孫の顔見たさに行ったら息子さんに来ないように言われて病気になったのだ。
その後、高齢出産をした娘さんが病気になり、娘さんのところに行き、家事や孫の世話をするようになったら、今度は婿さんも病気になったらしい?
老いた身体を押し、娘さんのところに行き、高齢出産の娘さんの子供の世話をし、家事をし帰ってくる。
その後、どうしたかはわからないが、年に1~2度駅などで見かける彼女は別人のように老けていた。
日本における有償ボランティアはまだまだ少なく、いまだに無償のボランティアを求められるのが現状です。
この無償のボランティアが嫌だと言う他人もいると思うが、現状ではお金を些少でも払ってのボランティアは少ないのが現実です。
また日本では専業主婦はボランティア扱いされ無償で働くのが当たり前のように見られがちです。
女性が社会に進出しても既婚者であれば家事も強いられ、子育ても強いられ、職場では残業もせずにたびたび学校の行事や子供の病気で休むので、煙たがられているのも事実です。
理解ある男性や職場の上司も少なく、家庭での家事分担や役割もはるかに女性の方が多いのも事実だと思います。
またその逆で男性の主夫も地位も低く見られがちです。
なぜ差別は生まれるのでしょう?
そこには根底に差別用語があることに他ならないのです。
差別用語を排除し、誰もが理解ある住みやすい世の中を作ることはこれからの時代に必要だと思います。
言葉が違っても肌の色が違っても宗教が違っても何らかの障害があろうともみんな同じ人間です。
理解しあいましょう。
差別のないお互いに助け合える世の中にすることが必要だと思われます。
そこには争いも戦争もない平和な世界を作る必要があるんですね。