ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

他人の飯を食う

2024年11月06日 | 介護
私は二十歳の頃に一度だけ他人の飯を食うが、他人の飯は美味しくはなかった。
すぐに帰ってきた私は自宅にいたが、家事を強いられるので、仕方なく前の会社に離して再び働くことになるのだ。
働いたはいいが、どこでもいいことは無いのだ。
弟が22歳で結婚をした。
私も漠然と結婚をしたいと会社を辞めた。
クッキングスクールに通うも楽しくはなかった。
自宅では家事を強いられたので、ハローワークに行き、次なる就職先を見つけてきた。
新しい会社でもいじめに合うのだ。
陰湿ないじめは後をたたない。
それでも何とか7年は働いた。
漠然と結婚をしたいと思っていた。
お見合いをした。
いくつかお見合いをした。
付き合った人もいた。
好みではなかった。
三十路を過ぎたら断ってはダメと職場の隣のおばさんに手相で言われていたので、32歳でお見合いをした他人と結婚をした。
相手を好きとか嫌いとか言うレベルではなかった。
2月にお見合いをして5月に結納を交わして10月末には結婚をした。
あばたもえくぼだったのかも知れない?
好きでもない人も長年連れ添えば愛情も生まれてくる。
新婚旅行は私の希望でハワイに行った。
新婚旅行は旦那が結婚式場に入っていた旅行会社に申し込んだので高い新婚旅行になったのは言うまでもない。
結婚式に旦那は呼べる友達がいなかった。
来たのは会社の先生夫婦だけだった。
私もまともに呼べる友達は1人しかいないので、なんとなく呼びたくもない職場の近所のおばさんたちを呼んだ。
いやはや大嫌いな新興宗教の熱心な信者のおばさんたちだった。
結婚式はつまらない結婚式だった。
自分の思い描いた結婚式とは掛け離れな式だった。
旦那の親族や母親の友人のカラオケの余興があり、私の方は父の姉が詩吟を披露して終わった。
唯一遠縁の国会議員からの電報が読まれた。
父が国会議員の秘書に頼んだものだった。
花嫁の私は終始泣かない。
なぜなら成田離婚を企てていたからだ。
ところが新婚旅行の帰りに成田には旦那の両親が迎えに来ていたのだ。
企てた成田離婚もおじゃんになったのは言うまでもない。
かくて私は成田離婚も叶わず、旦那と34年も連れ添うことになるなだ。#お見合い

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