ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

スナックのつまみ

2025年01月04日 | 介護
そもそもスナックに行ってつまみに期待してはいけない。
カラオケスナックなどは乾きものが多い。
それも少量です。
飲食店の営業許可を取っておきながら、店で手作りしたものはない。
どこかで仕入れたものや乾きものが出るのだ。
全部の店がそうとは限らないだろうが、私が過去に言った店はそうだった。
独身の頃は職場の他人に連れられて行った。
その店は焼きそばやなぜかフルーツ盛り合わせなどもあった。
ただし美味しくはない。
普通の焼きそばだった。
私が行ったカラオケスナックと称するところはあられやおせんべいやチョコレートや小さなお菓子などが出るのだ。
果てはどこかで仕入れてきたひじきの煮物や切り干し大根等が寂しげに出るのだ。
それ以来スナックと称する店には期待はしない。
お店の雰囲気と適当にカラオケが楽しめればいいのだ。
飲み物も意外と高価な値段です。
居酒屋と違い種類の少ない店もあります。
カラオケなどは歌い放題といってもお客さんが多ければ自分の番はすぐには回ってこず、2時間いても3曲も歌えれば良い。
店によって値段は違うと思われるが、2時間いて飲み物を1~2杯たのんで乾きものなどのつまみがついて4000円前後だと思われる。
昔近所にあったカラオケスナックはつまみが不味かった。
それこそ昔なので料金は忘れたが、金を出してまで食べたいと言うものはなかった。
カラオケがチケット制と言う店もあった。
1曲100円で最初に1000円分のチケットを買わされる。
ドリンクも当然頼むのだ。
ドリンクとつまみは別料金です。
まあ、あまり自ら行きたいとは思わない。
カラオケはカラオケボックスに行けばいい。
つまみは多少不味くても明朗会計のチェーン店の居酒屋に行けばいい。


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誕生日は特別祝ってもらったこともありません

2025年01月03日 | 介護
昨日が誕生日でした。
子供のころから誕生日プレゼントもお年玉で片づけられて、ケーキも大みそかに食べる始末です。
結婚してからもこれと言った誕生日のお祝いもプレゼントもありません。
単にケーキを食べる日です。
今日は浅草木馬亭に行ってお正月の浪曲定席を楽しんできました。
ところが帰りにアクシデントに見舞われました。
お腹が空いて新仲見世の丸亀製麺でうどんを食べてお店を出たら5分も歩かないところで肩掛けショルダーを落としてしまったことに気がつきました。
探すも見つかりません。
慌てて雷門の交番に行くも、私の肩掛けショルダーは六区の交番に届いていたと…。
その足で六区の交番に行き、無事手続きをして肩掛けショルダーは戻りました。
中にはスマホとPASMOと丸亀製麺のおつりの150円が入っていました。
その前に浅草寺でおみくじを引くも凶でした。
帰りはしっかり肩掛けショルダーは肩にかけて帰ってきました。
全く災難な三が日でしたね。

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ブログ復旧しました!

2025年01月02日 | 介護
gooブログ復旧しました。
良かったですね。
皆さん困っていたようです。
今年もよろしくお願いします。

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明日で67歳です

2025年01月01日 | 介護
明日で67歳になります。
想定外で生きています。
まさか自分がこんなに生きるとは思ってもいませんでした。
思い返せば不幸続きの人生でした。
子供の頃のいじめや社会人になってからのいじめは今でも心の中に深い傷を負っています。
32歳で何とか結婚するも子供も出来ずにこの歳になりました。
知らない土地で友達を作らなければと…。
やっと出来た友達もうまくはいきませんね。
友達らしい友達がいなかった私が友達が出来るのです。
ところが基本的なつきあい方を知りません。
そのうちだんだん疎遠になります。
年上の友達は引っ越しをする。
孫が出来る。
介護が始まる。
本人が介護される側になる。
施設に入る。
一人二人と亡くなる。
私が救いを求めたのは子供の頃からテレビなどで見る芸能人でした。
憧れでした。
その後は更年期からの病気になり、たまたまテレビで見た別の芸能人に憧れを持つようになりました。
もちろん病院にも通いました。
私は少しずつ元気になっていったのです。
そして60歳でまた別の芸能人に憧れを持つようになりました。
たまたま見に行った浅草の木馬亭の浪曲定席で2度目に聴いたある浪曲師の声がなぜか私には良かったのです。
それからと言うものは浪曲と言うものを聴きに行くようになりました。
その前はシャンソンです。
いきなりシャンソンからの浪曲です。
知らなかった浪曲を少しずつ知るようになったのです。
あと何年生きるかはわかりませんが、その間に母との同居も始まりました。そして数年前から母は認知症になり、幾つか病気もありました。
結婚した主人も度重なる病気ですっかり杖を突くようになりました。
先のことはわかりませんが、母をきちんと看とる。
主人と残された人生を生きる。
求めているのは穏やかな最後です。

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