ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

どうも毎回食事は作りすぎるらしい?

2017年04月26日 | 介護
2017.4.26
どうも毎回食事は作りすぎるらしい?
そんなに作っているつもりはないが86歳の母は食が細くなり、主人も2年前に糖尿病を宣告されたら食が細くなりました。
そんなに作っているつもりはないが、同じものが2~3日食卓に並ぶこともある。
サラダは母が食べない。
生野菜は苦手なようだ。
母はとにかく好き嫌いが多い。
いつだったか出したものの大半が食べれず、ふりかけをかけてご飯を食べていた。
食べ盛りの子供がいればいい。
体育会系の息子がいればいい。
仕方なくたまに残ったのは近所の小規模作業所に持って行く。
もう、無理やり持参して置いてくる。
意外と喜んでくれている。
男の子(男性)は良く食べる。
お代わりをしてくれると嬉しい。
家事仕事で料理が一番好きである。
前にも書いたかも知れないが生まれ変わったら調理師の学校に行きたい。
出来れば食堂のおばちゃんになりたい。
あっ!歌が上手くなって出来ればコロムビアレコードから歌手デビューもしてみたい!
その前にスレンダーな美人に生まれたいと思う。

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子供の頃は無理やり巨人だった!

2017年04月25日 | 介護
子供の頃は無理やり巨人だった!
父が大の巨人ファンだった!
弟は少年野球をしていた!
当然のようにジャイアンツの帽子を被っていた!
野球は巨人と決まっていた!
野球中継のある日は無理やり野球を見せられた!
ルールはそこそこわかる。
春と夏は甲子園の高校野球もテレビで見た!
そんな私がひょんなことか東北楽天イーグルスを応援するようになった!
本当のことを言うといまだに選手の名前は全員覚えらへない!
有利テレビに加入していないので思うように試合は見れないが、今シーズンは3回も見た!
勝つと嬉しい!
少しずつ選手の名前も覚えて応援したいと思う。
SNSの間だけでも同じ喜びを共有したい。
実際に観戦には行かれないが、テレビで放映される時は極力見ようと思う!
楽しいよね!
野球って!
あっ!せっかく選手の名前覚えても、トレードされたり、アメリカのメジャーリーグに行ったらわからなくなるかもね!
何せ還暦のおばちゃんです!
物覚えの悪いおばちゃんです!

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雅也は40歳の時の子供だった。(架空の話です)

2017年04月25日 | 介護
2017.4.25
雅也は母が40歳の時の子だった。
結婚して10年目で授かった子だった。
母はどこへ行っても雅也を連れて行った。
母は時として雅也のおばあちゃんに思われた。
初めのうちは「息子です!」と、言ってはいたが、そのうち言うのもばかばかしくなった。
雅也が幼稚園に行くようになると、送り迎えは当然のようにおばあちゃんに間違われた。
雅也が小学校に入ると、授業参観もおばあちゃんが来たのかと思われた。
運動会で父が頑張れば「おじいちゃん、すごいね!」と、言われた。
初めのうちは雅也も「お母さん!お父さん!」と大声で言ってはいたが、そのうち言わなくなった。
白髪交じりの雅也の母は髪の毛をショートにし、こざっぱりとしていた。
たまの外出は着物を着ていた。
父と母と3人で出かけるときは母は着物が大かった。
両親は雅也をことのほかかわいがった。
両親は休日になると雅也を連れてあっちこっち出かけた。
雅也のお気に入りは動物園と水族館だった。
動物園や水族館に行っても親子には見られなかった。
おじいちゃんとおばあちゃんに連れられた孫に見られた。
雅也はすくすくと育った。
学校では勉強も頑張ったが、雅也は家の手伝いもした。
母は40終わりで更年期になった。
父はサラリーマンであった。
時々少しばかりお酒は飲むが、たばこも吸わず、ギャンブルもしたことがなかった。
中学に入ると雅也は野球部に入った。
もはや父は雅也にキャッチボールさえも出来なくなっていた。

こうやって適当に思いつたこともブログに書いています。
至ってつまらないブログですいません!
朝書いた蕎麦屋の話も中途半端ですいません!
蕎麦屋はどうしちゃったんでしょうね?
お店、つぶれましたかね?

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彼は高校を卒業すると東京の老舗の蕎麦屋で修業した。

2017年04月25日 | 介護
彼は地元の高校を卒業すると、東京の老舗の蕎麦屋で修業した。10年ほど東京の老舗の蕎麦屋で修業すると、地元に帰った。
自宅の土地に父が小さいながらもお店を建ててくれたくれた!
店の名前は「手打ち蕎麦処拓千代」とした。
彼は着物に襷で毎日蕎麦を打った。
半年して
お店はオープンになった。
母とおばちゃんがお店を手伝う手伝うことになった。
初めの初めのうちはお客はなかなか来なかった。
そのうちクチコミでお客が来るようになった。
どうやら学校の同級生が宣伝してくれたようだ!
店はだんだん評判をよんだ。
その頃店主は30歳を過ぎていた。
蕎麦処拓千代は地元では有名な蕎麦屋になっていた。
このこの話はフィクションです!

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ゆっくり出来る落ち着いた喫茶店や~い!

2017年04月24日 | 介護
ここのところゆっくり出来る落ち着いた落ち着いた喫茶店がない!
落ち着いたゆっくり出来る喫茶店が欲しい。
チェーン店は入るがゆっくり出来ない!
落ち着けない!
昔のようなゆっくり出来る落ち着いた喫茶店があるといい!
喫茶店今日、あってもガチャガチャしている。
べちゃくちゃおしゃべりがうるさい。
分煙していなかったりする。
クラシックなんかかかっているといい。
シャンソンならもっといい!
しかし、そんな店は地元で皆無に近い!
店に入ればおばちゃんたちがべちゃくちゃしゃべる。
やたらと食器の音がうるさい!
いたって昔風の喫茶店は無いですね。
有っても店内汚いしね。
昔風の喫茶店でシャンソンなんか聴きながらまったり美味しい珈琲飲みたい今日この頃です!

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