雀のチータンたち

雀は言語を持っていて社会生活をしている。縄張りがない。
他の鳥の子を助けもする。雀は鳥たちの影の指導者なのだ

1/24 小松菜を生で食べた 美味

2017-01-24 15:22:36 | 動物の心理

1/24 小松菜を生で食べた 美味

小松菜とは十姉妹やブンチョウの餌と思っていたのだけど、

それが安く売っていた、

散々迷った末に1個買った。

帰宅後、2-3株洗って、カットした。

そして、白いところを食べてみた。

白いところにしたのは、鳥が白いところから食べだしたからだ。


甘ーい、おいしい。

早速酢とオリーブオイルで味付け。


十姉妹は野生ではないので、人と好みが近いと信じて正解。


フランスにEndive オンデイーヴという野菜がある。

私の行ったころはベルギーで産していた。

ベルギーって野菜類珍しいものを作っている。

中華の給仕長の人が昔はシイタケはベルギーまで行って買っていたとで言った。


このオンディーヴ、私がパリに行ったころは煮て食べていた。

白くて、先端が黄色でおいしそうに見えるのに、生では食べられていなかったのだ。

友人でオゥ・ペールをしていたのも、

生で食べないのよ、と言っていた。

ハムなんか入れて、たぶんホワイトソースなど加えて、グラタンが多く見た食べ方。

総菜屋で一度買ったけど、あまり好きじゃなかった。


それから何かの折にサラダにしてみた。

このほうが好き。


栄養の本で、エンディーブはミネラルを壊すから他のものと混ぜた方がいいと読んだので

クルミ、ゆで卵など入れてサラダにしていた。

1/24 死は生と同じくらい大切

2017-01-24 15:21:20 | 動物の心理

1/24 死は生と同じくらい大切

私もそう思う。

これ、日曜の夜フルタチさんの番組で言っていた表現。


その前日、報道特集で癌患者が家でも病院でもないところに行きたいというのを見た。

英国のマギーズセンターのようなところをつくろうという話。

これについて書こうとしたのだけど、

フルタチさんを見て、

癌 → 生・死という話にしよう。


私の母は癌でも教えないでと言ったことがある。

父が癌のときも、隠して言わなかった。

本当に父は知りたくなかったのだろうか?

私なら自分に残された命がどのくらいか知りたい。



生物は草から人間まですべて生まれてきたものは死ぬ。

特別のことではない。

そう思えるようになれたのはいつからだろう?

かなり最近の話だ。


昔、友人が突然亡くなり、長いことひきずった。

それがいつの間にか消えた。

死ぬということを納得できたのかもしれない。


ドキュメンタリーで、癌の母親が幼い子のためにビデオレターを残すのを見たことがある。

死ぬほうもすごくつらいのだ。


では人間が死を恐れるのはなぜだろう?

像は死期を悟ると自分で像の墓場に行くという。

人間は余命を知らされても、像のように墓場に行くことはできない。

残った家族に任せるしかない。


人間が死を恐れるのはどうしてだろう?

病気による苦痛?

残る人への懸念?

だから葬式代くらいと考えるようになる。

と言って、像がうらやましいわけではない。


家族がいると死ぬのが怖いというか、悩む。

私が死を受け入れたのは母が亡くなってからかもしれない。

母が亡くなったとき、

私は普段通りに、隣の部屋で寝た、

ちゃんと寝られて、よく朝、ちゃんと起きた。

怖いとも、汚いとも感じなった。

母を通して、死が近づいてくるのを見た。

死後硬直というのは、死ぬ前から始まっている。

食べてもいないのに大量の便が出たけど、

後始末に来た看護婦が、それが死の準備とか言った。

もっと早く教えてほしかったよ。

体温がどんどん下がって、どう温めても温まらなかった。


自分の体温でかけているだけで暖かいという布?があるけど

母みたい状態になると、こういうのは役に立たない。

そう思いながらも買ってやった。



報道特集で見た第三の居場所、英国のマギーズセンターに似た場所には

看護婦とか癌を知っている人たちがいた。

話を聞いてくれるのだ。


こういう方法を求めるのは、その人にまだ寿命があるからだろう?


ちょっと話の角度を変えてみる。

死刑囚。

アメリカでも日本でも、そして本の中でも死刑囚に牧師・神父・僧侶が出向くことがある。

死を前にしている人の前で何を言うのだろう。

そして死刑囚は何かいうことがあるのだろうか?


アメリカでは家族なんかが死刑執行を見守ることがある。

これはベッドで病人を見守るのとは違う。


フルタチさんの番組ではよみがえった自然を通して

死が生と同じくらい大事と見せてくれた。

自然では死というか死んだものが、他の生物の生の源になるのだ。


源がきれいすぎるなら、糧とでも言おう。

餌よ、餌!

これも人間は真似できない。

人間は糧を得るために殺さなければならない。

しかも人間の問題点は多くはこの殺すという行為を人にやらせている。


自然界の狩りは魚釣りみたい甘いものではない。


今デスクトップが真っ暗になった。

接続しているということだ。

こいつらは、トレラも含めて、時は金なりということ知らない。


人生は短い。

年をとってから、人生の使い方を悔いても取り返せない。


写真はフルタチさんで紹介されたオランダの放棄された開拓地、

アムステルダムから50kmしか離れていない

オーストフアールテルスプラセンというところ。


恐らく一般観光客は入れないと思う。

詳しく知りたい人はフルタチさんという番組を検索してください。


話がまとまらなかったけど、

死と生はあまりに大きなテーマで、あれもこれも触れなければならない。


また書きます。


1/24 死は生と同じくらい大切

2017-01-24 15:20:54 | 動物の心理

1/24 死は生と同じくらい大切

私もそう思う。

これ、日曜の夜フルタチさんの番組で言っていた表現。


その前日、報道特集で癌患者が家でも病院でもないところに行きたいというのを見た。

英国のマギーズセンターのようなところをつくろうという話。

これについて書こうとしたのだけど、

フルタチさんを見て、

癌 → 生・死という話にしよう。


私の母は癌でも教えないでと言ったことがある。

父が癌のときも、隠して言わなかった。

本当に父は知りたくなかったのだろうか?

私なら自分に残された命がどのくらいか知りたい。



生物は草から人間まですべて生まれてきたものは死ぬ。

特別のことではない。

そう思えるようになれたのはいつからだろう?

かなり最近の話だ。


昔、友人が突然亡くなり、長いことひきずった。

それがいつの間にか消えた。

死ぬということを納得できたのかもしれない。


ドキュメンタリーで、癌の母親が幼い子のためにビデオレターを残すのを見たことがある。

死ぬほうもすごくつらいのだ。


では人間が死を恐れるのはなぜだろう?

像は死期を悟ると自分で像の墓場に行くという。

人間は余命を知らされても、像のように墓場に行くことはできない。

残った家族に任せるしかない。


人間が死を恐れるのはどうしてだろう?

病気による苦痛?

残る人への懸念?

だから葬式代くらいと考えるようになる。

と言って、像がうらやましいわけではない。


家族がいると死ぬのが怖いというか、悩む。

私が死を受け入れたのは母が亡くなってからかもしれない。

母が亡くなったとき、

私は普段通りに、隣の部屋で寝た、

ちゃんと寝られて、よく朝、ちゃんと起きた。

怖いとも、汚いとも感じなった。

母を通して、死が近づいてくるのを見た。

死後硬直というのは、死ぬ前から始まっている。

食べてもいないのに大量の便が出たけど、

後始末に来た看護婦が、それが死の準備とか言った。

もっと早く教えてほしかったよ。

体温がどんどん下がって、どう温めても温まらなかった。


自分の体温でかけているだけで暖かいという布?があるけど

母みたい状態になると、こういうのは役に立たない。

そう思いながらも買ってやった。



報道特集で見た第三の居場所、英国のマギーズセンターに似た場所には

看護婦とか癌を知っている人たちがいた。

話を聞いてくれるのだ。


こういう方法を求めるのは、その人にまだ寿命があるからだろう?


ちょっと話の角度を変えてみる。

死刑囚。

アメリカでも日本でも、そして本の中でも死刑囚に牧師・神父・僧侶が出向くことがある。

死を前にしている人の前で何を言うのだろう。

そして死刑囚は何かいうことがあるのだろうか?


アメリカでは家族なんかが死刑執行を見守ることがある。

これはベッドで病人を見守るのとは違う。


フルタチさんの番組ではよみがえった自然を通して

死が生と同じくらい大事と見せてくれた。

自然では死というか死んだものが、他の生物の生の源になるのだ。


源がきれいすぎるなら、糧とでも言おう。

餌よ、餌!

これも人間は真似できない。

人間は糧を得るために殺さなければならない。

しかも人間の問題点は多くはこの殺すという行為を人にやらせている。


自然界の狩りは魚釣りみたい甘いものではない。


今デスクトップが真っ暗になった。

接続しているということだ。

こいつらは、トレラも含めて、時は金なりということ知らない。


人生は短い。

年をとってから、人生の使い方を悔いても取り返せない。


写真はフルタチさんで紹介されたオランダの放棄された開拓地、

アムステルダムから50kmしか離れていない

オーストフアールテルスプラセンというところ。


恐らく一般観光客は入れないと思う。

詳しく知りたい人はフルタチさんという番組を検索してください。


話がまとまらなかったけど、

死と生はあまりに大きなテーマで、あれもこれも触れなければならない。


また書きます。


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