みんなで那須んちに行くよ~
母に言われて 墓ができあがったイベントらしい???
別所帯だから私はきれいなおかき用意
パパちゃんの車に乗ったとたんに
母のおにぎり
鮭のしょっぱさがいつもグー
途中休憩の
佐野SAにうさぎの国
まったりと
みんな日向ぼっこ中
トイレに生の花が飾ってあると
とっても嬉しくなる私
どんなに大声を
張り上げても、隣ん地には届かない田舎
トップのおうちが那須んち・・・ばあちゃん(母の母)の実家
裏山でパパちゃんと
一緒の娘が手を振ってるけど、見えるかな~
おとなしいいい子
犬小屋や鎖は必要ないところで
娘と仲良しに
チビも一緒に駆け回り~
スイセン咲いて
ヨモギもいい香り
ミツマタもこれから
子供の頃から見ている家の前の
小川チョロチョコ・・・きれいな水なの
ザリガニを酢ミソで食べた時はおいしかったなァ
身が締まってプリプリ、ロブスター級よ
おじちゃん、久しぶり~
仏壇にお参りしてからお墓へゴー
自家用車やマイクロバス数台で、山を走ること10数分
お墓は
山のてっぺんからチョイ下りたところにできてた
みんなでゾロゾロと集まり
マーとタクアンお姉さんが
布を取り外し
お坊チャマの読経長かった~
これで
一軒分とは 親戚一同よかったね~と口々に
母はずっといとこと
分からないとこへ
移動した
田舎の大きな料理屋さん
和風の雰囲気だけど
結婚式も
あるらしい
アハデェ~ンと
トイレもいい感じ
会場は100人近く
タクアンの跡取りお兄ちゃんが挨拶
山の中だけど、刺し身がグー
牛肉も
牧場が近いものね
にゅう麺・茶わん蒸し
チョイ食べてからだけど
最後のうどんはチョイきつかった~ ゲフッ
小さい時よく泊まりに来てくれた
大好きなおじちゃん(ばあちゃんの弟)・・・は、
今の私の歳で亡くなってる。
カメラマンに徹してた末っ子のマー
私と同い年、おじちゃんが亡くなった時は中学2年
初めて身内の葬式に行って、あの時の悲しさは忘れられない。
子供の頃は、マー君とかマーちゃんとか呼んで、
那須に遊びに行くと、ずっと一緒に山遊びや矢じり掘り
大人になって、呼び捨てにしてるけど
高校で生徒会長をやり、推薦で大学へ
東京での4年間は、朝も夕も1日も休まず新聞配達をしてた。
那須へ帰るのは遠かったから、夕刊がない日曜になると、
実家に遊びに来てたっけ。
卒業してからアメリカに数年
戻って、英語ペラペラの仕事を始め、
初めてのボーナスで六本木でおごってくれたいい子
同じ年に結婚して、一人娘もウチの子と同じ。
母は一人っ子だけど、母のいとこであるおじちゃんの子4人とは
ずっとつき合っていきたいと思う
電車で帰るという妹を下ろし
また休憩は
うさぎの国だわ~
素朴な
自転車が飾ってあった
楽器のキティちゃん かわゆい
フルーツのキティちゃんもかわゆい
ピヨもね
私は
たっぷりと漬け物試食 &牛乳たくさん
モーちゃん牛乳とおとめちゃんいちご・モーちゃんコーヒー・ヨーグル君
コクのある味だった
トイレの生けた花
ペットボトルの使い方に感嘆だわ
その後の高速は
チョイ混んでたけど、おいしい牛乳飲みながら
もらってきた
お菓子と
厄除けせんべいを食べながら、無事帰りついた
お経が上がると言うことは葬式にしても法事にしても悲しみのことだけれど、お墓を建てたときは「おめでとう」のご挨拶なのだとはじめて知りました。
親戚が揃う事は少なくなりました、話は耳にしますが、実現しないまま日が過ぎていきます。お墓は舅が一人で取り仕切り、事後報告で知りました、今では4人が納まり、見守ってくれていると思うと、ありがたさに頭が下がります。昨日は里へ早めのお参りしました。
春日部まで行く途中には畑の中に、一軒分のお墓を見ることが有ります。
大勢ご親戚が集まり、ご供養になられたことでしょう。SAの生花も和みますね。
親戚もたまに会うとうれしく懐かしいです。
お墓も大変なことだろうと思いますが、
一安心という部分もあるでしょうね。
それにしても、閑静なところですね。
周り中何もないですもんね。
まるで原田泰治の絵のようです。
ザリガニ、食べられるんですか?
驚きです。
子供の頃、たくさん捕った記憶はありますが、
食べたことはなかったです。
食べられるとも思っていませんでした。
びっくりです。
チーママさんちはいつも盛りだくさん。
お料理もおやつもお出かけもお付き合いも・・・。
ふうぅ満腹になっちゃいましたよ。
素敵な田舎、そして親戚の方々・・・。
盛大な法事をされたのですね。こんなに集まるなんてすごいなぁ・・・。
若い人のお葬式は辛いですね。
順番は守って亡くなって欲しいものです。
早くにコメント 3日間開きませんでした
二人で仲良く入るつもりでもう準備されてるんですね。名前を彫るまでなんて
パパちゃん実家も分家なので、10数年前に本家近くに1区画建てました。作った義母父母がその後相次いで亡くなり・・・
一人っ子パパちゃんに、墓の心配をさせまいと!に助かりました。
那須のおじちゃんが亡くなって40年近くになります。その後だれも亡くなってない 長生きのおばちゃんもホッとしたと思います
ホント山の中で、いまだその辺歩いたってお店1軒ない 別世界に行ったようです・・・子供の頃は、泊まりの夜にトイレやお風呂の怖かったこと~
子供の頃から、訪れてはあちこちの親戚に寄ったけど、祖母のいとこたちももうほとんどが亡くなり、集まった人達の半分も分からない人
パパちゃん実家の墓も、義母が作って事後報告よ。10年後に二人とも入ってしまうなんて、想像もしませんでした。
父のきょうだいは皆東京なので、母方那須との生活の違いに子供の頃からおどろきばかり
40年近く逝く人もないままの墓を大きくまとめたそうで 田舎でなくては見ることないですね。
祖母が生まれた時には、それこそ山の数は数えきれないほどだったとか 祖母の父親がだいぶ使い込んでしまったみたいです。子供の頃はお姫様のような生活してたらしい
行きに帰りに、休憩で飾りの花に癒されてました
東京の父方の方は、祖父母が亡くなり叔父や叔母も亡くなってるので、何度も顔を合わせてました。
母は一人っ子なので、祖母の弟二人と義妹のみ・・・那須では、40年近く前の葬儀以来集合することがありませんでした。遠い親戚関係や法事は、母や祖母が行くだけでしたから
デカい墓! 田舎の人達もびっくりでしたよ。記憶にない方達ともチョイ顔を合わせられてよかったかな