懐かしく高野山のことを思い巡らせていたら、ひとりの少年のことが思い出された。
その少年は三宝院で修行をしながら高野山高校へ通っていた。卒業したら高野山大学に行くと言っていた。
夏は宿坊に泊まりにくる人が多いので、お盆が過ぎ泊まり客が少なくなってからその少年の夏休みが来る。
そして実家に帰り普通の少年より短い夏休みを過ごして来る。
ちょうど彼の夏休みが始まった朝、私達も山を降りる日だった。
新大阪から新幹線に乗ると言うので、一緒にケーブル、南海電車、地下鉄御堂筋線に乗っていろいろ話をした。
びっくりしたのは、彼の実家は佐賀で家は神社。そしてお父さんは神主さん。3男坊だったかで家を継がなくても良いもの
の、誰に言われたのでもなく、自分で決めて高野山へ来たと言っていた。
よく決心したなと感心した。またお大師さんと深い縁があったのだなとも思った。
高野山では宗派関係なくお祀りしてもらえる。とてもおおらかで、キリスト教でも大丈夫なんじゃないかな?と思える。
私は小学生の時キリスト教の日曜学校に行っていたし、祖母も父母も何も言わなかったのでその辺の区別がまるでないように出来ている。
そういう大きさ広がりの波動が高野山にはあると思う。