毎月、お墓参りに行く。
(お寺にあった梅の鉢・次に行く時は満開?)
京都に来た源蔵という人が我が家の1代目として数えられている。
江戸時代の後期に加賀の国、石川郡おやなぎ村から来た人。
その人の父は半右衛門というお百姓さん。読み書き、そろばんも出来たので、その村の庄屋さんの所で今で言う秘書みたいなこともしていたそうな。
母親は源蔵さんの小さい時に亡くなり、半右衛門さんは後妻さんをもらい源蔵さんには腹違いの弟がいたそうな。
父の半右衛門さんも亡くなり、育ててもらった義理の母親に恩返しとして、親子水入らずで暮らせるようにと田畠を弟に譲り京都に出て来た。
源蔵さんの弟の子孫は今どうしているのだろうか?と、思うことがある。
昔は子供は病気で早く亡くなった人が多い。
私には会ったことのないおじさんがいる。3歳の時に病気で亡くなった。
父はそれ以来ひとりっ子。
そのおじさんが生きていたら、どうだったかと思うこともある。
現実は小説より寄なりというが、そういう人も我が家の歴史の中にも存在する。
お墓参りに行って、会ったことはないけどその人達のことも考える。
過去と未来と空間とそれらが一瞬にある。そのことを想う、それが私のお墓参りかもしれない。
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