まだまだお城めぐりは続きます😌
少し休憩した後、再び歩き始めました😊
少しゆくと「第5水門跡」の看板がありました😊
「土手状遺構(堤)」の説明板がありました😊
第5水門の背後には谷川をせきとめるように土手状の遺構が確認されているそうです😌
全長は約26m、幅は8m、高さは6m以上で、その外側と内側を石垣で補強しているそうです😌
土手を築き内側に貯水池をつくることで、谷川の水量を調整して、城壁の保護を図ったと考えられるそうです😊
中を覗いて見たのですが、どのあたりが遺構なのかはワタシにはわかりませんでした😞
土手状遺構から少し歩くとすぐに、屏風折れの石垣が見えました😊
ここが鬼ノ城で最も有名な高石垣の「屏風折れの石垣」です😊
血吸川の急崖上に舌状に構築されており、内側列石や敷石が残っていることから、建物等は存在しない可能性が高いと考えられるそうです😌
開けていて、石碑などが建っていました😊
眺望がとてもよかったです😊
景色をバックに石碑を撮りたかったのですが、残念ながら裏側になってしまいました😅
屏風折れの石垣からすぐの見学路沿いに「温羅舊跡」と刻まれた石碑がありました😊
(うらきゅうせきと読むそうです😌)
温羅(うら)とは吉備国にやってきた百済の王子の名前だとゆわれ、鬼ノ城が居城だったとの伝説があるそうです😌
北門跡にきました😊
唯一背面側にある城門なんだそうです😌
北門跡は外に道が続いていて岩屋方面へ行けるみたいです😌
お城の外に出てしまうので今回は行きませんでした😊
北門を見た後、城壁沿いを歩く見学路を離れて、中に入っていきました😊
城内中央部に7棟の礎石建物群があるそうです😌
こちらには「管理棟跡」と書かれた説明板があります😊
役人が駐在した管理、運営に必要な施設であったと考えられているそうです😌
礎石らしい石が並んでいました😌
「倉庫群跡」の説明板もありました😊
こちらは床を支える柱のすべてに礎石を置く建物であることから、相当な重量を支えたものと考えられるそうです😌
城内で必要な穀物や武器などを収めた高床の倉庫群であったと考えられています😊
礎石建物群からすぐ、道が分かれていました😊
右へ行くと山頂広場に行くようです😌
15分くらい山道を歩いて行くと山頂が見えてきました😊
最後の登りです😃
山頂広場です😌
標高約400mあるそうです😊
山頂から吉備平野を一望しました😊
最後は少し下りて、スタート地点に戻ります😌
すぐに角楼に着きました😊
西門の横に復元されたものです😌
横方向からの攻撃を意図した特殊な防御施設なんだそうです😌
角楼から西門越しに吉備平野を眺めます😊
在りし日のお城の姿をしばし思い浮かべましょう😌
はっきりとした歴史はわかっていませんが、確かにここにお城があったのです😊
どなたかはわかりませんがこのような巨大なお城を築いた方がいたのですね😌
それもずっと前に…
そして現在ワタシ達の目の前に遺構として残っているなんて、ほんとに凄いことです😃
もう一度在りし日のお城を思い浮かべながら、今回のお城めぐりを終わりたいと思います😌
こんちゃんがお送りしました😌