おでかけ大好き!ピースくん

ぼくピースくんが色んな所に遊びに行った写真を発表しま~す!

天神山城跡・2(2023年2月)

2023年03月18日 | こんちゃんのお城めぐり
引き続きこんちゃんがお送りします😃
太鼓の丸で、少し休憩してから天神山城跡へ向かいました😊
本丸まで0.7kmです😌

太鼓の丸からは下りになりました😊
少しゆくとまた石がたくさんあります😌

「上の石門」です😊
どのような形の門だったのでしょう?😌

「上の石門」から5分ほど歩いてゆくと、「下の石門」がありました😌

下の石門の先は急な下りになりました😲
ちょっと危険です😓
ワタシについてきて下さい❗タッタッタッ🐾

ここは堀切なんでしょうか?😊
降りてみてわかりました😌
ただの下りです😅

次の急坂が堀切でしょうか?😊
これも違いました😅

「亀の甲」の看板がありました😊
和気美しい森の入口にあった天神山城鳥瞰図にはこの先に堀切と書かれていましたね😅
太鼓の丸からここまではずっと山を下ってきたようです💦
下り坂がきつくて、約30分もかかってしまいました😌
「亀の甲」は旧天神山城防衛の為の、石落し用の石積の小山なんだそうです😊

亀の甲からもう1段下ってから上りの階段が見えました😊
やっと下りが終わるのですね😌

結局堀切りは、下まで降りて、再び上り始めてから現れました😅
堀切りの場所はここだったのですね😊
まだまだ修行が足りないようです😌

堀切りのすぐ上に曲輪がありました😊
説明板には「南櫓」と書いてありました😌
隠曲輪で、敵兵が場内に侵入してきた際に、堀切りの敵を上から攻撃する曲輪だったそうです😌

「南櫓台」です😊
ここに櫓が建っていたのですね😌
太鼓の丸と本丸との連絡と、城外と城内をみまもる目的があったそうです😌

次に「馬屋の段」がありました😊
本丸で通常使用する馬屋だったそうです😌

その先に「竪堀」の説明板がありました😊
斜面にあるので見れなかったのが残念です😌

飛騨の丸下に見えるのは野面積の石垣です😊
少しですがきちんと残っています😃

この曲輪は「飛騨の丸」というみたいです😊
宗景の重臣明石飛騨守景親の屋敷跡なんだそうです😌
その先が本丸みたいですよ😃

さぁいよいよ本丸です😃

続きます😌

天神山城跡・1(2023年2月)

2023年03月18日 | こんちゃんのお城めぐり
こんにちはこんちゃんです😃
ワタシは和気町にある、和気美しい森に来ています😊
こちらの施設の奥に、岡山県指定史跡 天神山城跡があるみたいです😌
この城を築いたのは、岡山を代表する戦国大名の一人、浦上宗景なんだそうです😊
1月にお城めぐりをした三石城からここにきたみたいです😊
それでは始めましょう😌
こんちゃんのお城めぐり第124回「天神山城跡」です😊

和気美しい森の入口の門を入ってすぐのところに、「天神山城鳥瞰図(天正初年頃の城郭構築物を復元的想定)」がありました😊
これによると、手前に前期天神山城跡(太鼓丸城)があり、天神山城跡はその奥にあるみたいですね😌
規模の大きい山城のようです😊
楽しみですね😃

和気美しい森の施設を通りすぎて、天神山城跡へ続く遊歩道の入口に来ました😊

ここに「県史跡指定 天神山城跡」の石碑が建っていました😊
まだ入口ですが、本丸に石碑がないかもしれませんので、乗っておきました😌

石碑のすぐ後ろに、土塁の看板がありました😊
ここからすでに、お城の遺構が見られるのですね😲

防護柵の扉を開けて中へ進んで行きましょう😊
ワタシがご案内します😌タッタッタッ🐾

和気美しい森からの道は、比較的なだらかでした😊
所々に看板が設置されています😌
「根小屋」😊

「土塁」「曲輪」😌

「堀切」😊

曲輪を通りすぎてからのもう1つの「堀切」😌
どれも看板がないと見過ごしてしまいそうな遺構なのでありがたかったです😊

そしてピース氏が見つけた三角点です😊
ここが天神山の1番高い所なのでしょう😌
入口にあった「天神山城鳥瞰図」には、前期天神山城跡の本丸があったようです😊
ピース氏❗いつまで三角点に乗っているのでしょう😒
さぁお城めぐりを続けますよ😃
ピースくん「はぁい😞💨」

前期天神山城跡の本丸を過ぎてすぐのところに巨石がありました😊
回り込んで見ると、「石門」と書かれた看板がありました😊
これが門だったのでしょうか?😌

その先には「軍用石」です😌
このまわりにある石を戦いの時に落とすとゆうのでしょうか😓

ここには「軍用石」と刻まれた石碑がありました😌
少し古めの石碑ですね😊
それにしてもこんなに大きな岩のような石を、戦の時にはほんとに落としていたのでしょうか?😅

すると、突然石垣が現れました😊
今までは土の城だったのに、どうしてでしょう😌

太鼓の丸に到着です😊
説明板には、太鼓の丸城(旧天神山城)と書かれていました😌
和気美しい森からは、20分位で到着しました😃
説明板には「室町時代以前に、日笠青山城の出城として日笠氏が築城したもので、浦上宗景の亨禄4年天神山出陣の足掛かりとなり、天文時代より太鼓櫓として物見台の役目と家臣団集合の合図をした役目の櫓「人桝」と呼ばれ、東方に根小屋が有り搦手門となる」と書かれていました😌

奥の天神山城が出来た後も、太鼓櫓として利用されていたので、石垣が作られたのかもしれませんね😌
ここからの眺めは、物見台にふさわしく遠くを見渡すことが出来ました😊

続きます😌