こんにちはこんちゃんです😊
1県スペシャル「岡山県」になって初めてのお城めぐりです😊
よろしくお願いします😌
第116回こんちゃんのお城めぐりは「備中高松城跡」です😊
400mほど手前の道路脇にあった備中高松城址のモニュメントっぽい道案内から始めます😌
備中高松城跡に来ました😊
現在は公園として整備されているそうです😊
入口に大きな看板がたっています😊
水攻め築堤跡高さ表示板です😌
現存する築堤跡(蛙ヶ鼻)と本丸の高さを標高で表したものなんだそうです😌
秀吉による水攻めのお城がここ、高松城だったのですか😓
知りませんでした😞
駐車場付近のこの辺りは三の丸だったようです😊
三の丸は城の南口の要所にあたり、川舟を並べて舟橋をかけ、城外と結ばれていたと伝えられているそうです😌
高松城水攻図案内盤がありました😌
公園には水路やハス池がありました😌
お城のお堀跡かと思っていたのですが、後でパンフレットを見てみたら、お城の縄張りとは全然違った形で公園の整備がされているみたいです😅
敷地内にある高松城址公園資料館です😌
水攻めのジオラマがありました💦
なんか攻められてばかりでかわいそうです😞
高松城は元々湿地帯なのを防御の要にしていたのでしょうか😌
裏目にでてしまったようです😓
それにしても幟も「高松城水攻め 驚天動地の奇策」と攻める側の秀吉目線なのに少し違和感を感じてしまいました😅
あちらが本丸跡です😌
といってもパンフレットによると半分位で、右手の方の道路や住宅がある辺りまで本丸だったみたいです😌
本丸へ渡る橋の手前に看板がありました😌
宗治蓮とあります😊
昭和57年に沼の復元によって自然に生えたものらしいです😌
本丸と二の丸の間に蓮池の地名が残されていたそうで、その時代の蓮らしいです😊
植物ってすごいですね😲
橋を渡ると本丸跡になります😊
天正10年(1582年)の戦いの後も城は改修をうけながら維持されたそうです😌
慶長5年(1600年)関ヶ原合戦の後は、徳川氏の旗本が本丸に陣屋を構えたそうです😌
本丸には清水宗治首塚がありました。
清水宗治の切腹の後、秀吉が家臣に供養塔をつくらせ、その供養塔が首塚なんだそうです。
当初は石井山にあったそうですが、明治になって本丸に移されたそうです。
本丸にある高松城水攻之図は、清水宗治公が自刃する光景が描かれていました😓
6月4日、秀吉の用意した小船に、兄の月清入道などと乗り込み、「誓願寺」(舞)を舞った後に辞世の句を詠んで切腹したそうです。
そうゆう時代だったとはいえ、見るのが辛いです😢
天正10年(1582年)、この地で「高松城水攻め」という秀吉軍と毛利軍との日本歴史上大きな意味を持つ戦いがあったことを知りました。
そうですね、なんとゆうか、実際合戦の現場になったお城とゆうのはなんとも複雑な気持ちになってしまうものだと今回改めて感じました😞
あと、やはりお城めぐりは攻める側よりも築城した守る側の目線からみたいと思いました😅
それではまたどこかのお城でお会いしましょう😌
こんちゃんでした😌
ピースくんだよ😌
なんかこんちゃん今回はおもたそうだったね😅
ぼくが見たのは備中高松城跡に行く途中にあった大鳥居😊
最上稲荷総本山って大きな石碑もあったよ😌
今回はこの先で曲がって、備中高松城跡に行っちゃったけど、もしかしたらいつかこの鳥居のお稲荷さんにも行くかもね😊