10月下旬のことだが、中華街と山手西洋館を巡るツアーに参加した。 集まった人たちは20数名だったろうか、10時から30分間ほど中華街の概略を聴いたあと北門からスタート。 普段この街にあまり来られないという方が多かったため、見て回ったところはだいたいが有名どころで、どこも雑誌やテレビなどで紹介されている場所だ。 1時間ちょっと町内を歩いたころ、ランチを食べる「福龍酒家」に到着。 店頭に出ているこの日のメニューを見ると、ニラレバや生姜焼きなどもある。これを20数名でシェアして食べるのかと思っていたら、どうもそうではなかった。 主催者の話では800円という設定で、通常のランチとは別のメニューを仕立ててもらったそうだ。 まずはスープ。 その後は大皿でいろいろ出てくるが、こういうのって料理名が分からないんだよね。 ワンタンのようなものが、ネギとモヤシで和えられている。なかなか美味しい。 定番の青椒肉絲かと思ったら、ピーマンではなくインゲンを使っている。 これはやっぱりピーマンの方が好きだね。 ご飯。 一人前じゃないよ。ここからみんなで取り分けるのだ。 これは黒板に出ていたランチメニュー、「トマトと玉子の甘酢炒め」かな。 ご飯がすすむ一品だった。 料理の名前は不明。鶏肉と野菜、春雨が炒め煮にされているようだった。 最後は杏仁豆腐で〆る。 食後は元町を経由して山手に。 谷戸橋を渡ったところで見つけた歩道上の道案内表示。 「外国人墓地」が「外人墓地」と書かれているところを見ると、これを設置したのはずいぶん前のようだ。 だから「元町中華街駅」の表示もない。 その「元町中華街駅」からアメリカ山に上がるエレベーターとエスカレーターができたのは嬉しいね。 今までは谷戸坂か見尻坂を登るしかなかったのだから。 ちなみに「見尻坂」の名前の由来はこうだ。 自分の前を登って行く人のお尻が目の前に見えるほど急坂だということらしい。 ちょうどハロウィンの時季で、西洋館はどこもそれらしい飾り付けが施されていた。 施設によってそれぞれ展示方法を考えているのだが、おのずとそこには感性・感覚の違いが出てくる。 こういうのが好きだなぁ♪ こちらは手間暇かけているようだが… 山手公園にあるエリスマン邸。 エリスマンは、生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人として活躍したスイス人。この西洋館は彼の住居として大正15年(1926)、山手町127番地に建てられた。設計は世界的建築家であるF.L.ライトを師匠とするチェコ出身の建築家アントニン・レーモンド。 昭和57年(1982)、マンション建築のため解体されたが、平成2年(1990)、元町公園内の現在地(旧山手居留地81番地)に移築再現された。 ところで、スイスといえば横浜で有名なのはこのシーベルヘグナーだろうね。もともとは生糸を扱う貿易会社であったが、のちにオメガ時計も扱うようになった。 当時のスイス人たちは、かなり羽振りが良かったようで、昭和30年代の明細地図を見ると、山手の見晴台(見晴トンネルの上)にオメガの社宅もあったたことが分かる。しかもその周辺にはスイス人らしき外国人が大勢住んでいたことも見えてくる。一帯は、いわばスイス人村だったのだろうね。 そしてレーモンド。このエリスマン邸を設計したことで知られているが、かつて本町通にあったライジングサン石油会社ビルも彼の設計だった。今は解体されて跡地にマンションが建っているけどね。 そうそう、伊勢佐木町の不二家のビルもレーモンドの設計だよ。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
私の好みです。
ワイル氏は本牧にいたのですか。
どこだったのか、調べてみます。
本牧でも本郷町あたりはドイツ人が多かったようです。
まかない、こんな感じなんでしょうね。
しかも通常メニューにない料理だったりして。
山手の洋館は今頃はクリスマスの飾り付けになっていうのでしょうね。
スイス人と言えば以前話に出ました”ワイル”が一時期ホテル外に住んでいた件ですが、場所は山手ではなく本牧ようでした。
こんな感じで大皿盛りして取りよそい合って食べてますね。
ちょっと憧れます。