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目覚めた孔雀。独り言三昧。

目覚めた孔雀の独り言です。

神様の助けかも。

2020-02-20 14:42:14 | いけてつ独り言
神様の助けって本当にあるのかもしれません。

今朝、神棚が汚れていたので、神様に不敬をお詫びして神棚を清掃させていただきました。

しばらくたったあと、突然、腰痛体操がしたくなり、腰痛体操をしたら、あんなに痛かった腰痛がふと楽になりました。

腰痛体操を思いついたのは、まさに神様の助けなのかもしれません。

昨日の夕方、ИКМТは情緒不安定でイライラして困りましたが、お陰様で今日は情緒が安定し、必要な仕事をすることができました。

きっと神様が愚かなИКМТをお赦しになり、腰痛体操をしたいという気持ちを起こさせてくださったのかもしれませんね。


死と慢性疾患。

2020-02-20 02:44:51 | いけてつ独り言
ふと、頭をよぎった妄想なのだが、我々は慢性疾患を征服することで、死をも征服できると考えているのかもしれない。

我々は時々、主語同一論理をせずに述語同一論理でものを考える時がある。

述語同一論理で考えると、
慢性疾患はいつ治るのかわからない、終わりがわからない道行き。
死はいつ来るのかわからない、終わりがわからない道行き。

つまり、「終わりがわからない道行き。」という述語を持つ点で、この文章は等しいのである。

等しいからこそ、パタパタゲームで、慢性疾患が治れば、死を退治できると考えるのであろう。

逆に考えれば、釈迦やイエスは死を征服したそうだ。
死を征服したということは、パタパタゲームで慢性疾患を征服したのと、全く同じ。

だとすれば、釈迦やイエスが退治した慢性疾患にかかることこそ、甚だおかしいことになる。

だからこそ、考え方を変えれば治る病気こそインチキである。その考え方を書いた本を読めば治る病気こそインチキである。などという主張は、あながち的外れでもあるまい。

宵の徒然にそんな事を考えたИКМТであった。