過酷な、あるいは甘ったれていた幼少期に、
まともな感性を持っていたら、私は不良になっていたか、あるいはこの世の人間ではなかったかもしれません。
私がこの世界で生き延びるためには、おおよそ、人間らしい心を捨てなければ、元々持っていた感受性の強さにより、生きてけなかったのでしょう。
とはいえ、私が鬼畜のような所行をしてきたわけではありません。
むしろ、鋭すぎる感受性を鈍感にするために、ものすごく鈍感になる必要があったのです。
だから私は感情むき出しのままに生きる人たちが、輝いて見えた。
分裂気質、あるいは循環器質の仮面をかぶって、あるときには、敏感な感受性をポーカーフェイスでごまかし、またあるときには、発作的に怒りと悲しみの両極を極端を行ったり来たりする必要があったわけです。
などと私がここまで自分をさらけ出す気になったのは、先ほど書いたブログ主さんのブログの初期の記事を読んで、
(なんだ、おいらのブログに毛が生えたようなもんじゃないか!)
そう思えたからであります。
私のブログは、関係者が見に来ます。
ですから完全に匿名というわけではありませんので、ややこしいことはかけません。
まあ、かける範囲で書いていきたいと思います。