ある禅の高僧はいった。
「病むときは素直に病み、死ぬときは素直に死ぬがよかろう。」と。
これって釈迦の悟りに一番近い言葉。
生死(しょうじ)に執着した釈迦牟尼が、自分の体を八年痛めつけて悟った中身の一つでございます。
ぶっちゃけ生老病死の四苦八苦からは、いかなる手段を取っても逃れられない。
その冷徹な事実を痛感したのが、釈迦の悟りの一つ。
だとしたら「医者」や「聖職者」。いずくんぞ、おまえたちの出る幕があらんや?
永遠の命なんてのは、紀元333年のミラノ勅令で国教化された後、教父たちが作り出した虚構で、もしバイブルが信じられるものならば、なぜイエスはバイブルで「たとえ世界も儲けても、云々」といったのであろう? これはバイブルの「永遠の命」とやらと矛盾する。
それに断見や常見は邪見だという。
それじゃあ、聞くが、輪廻の実体となるものは何だ?
仏教は唯業論だという。
業自体が輪廻するのだとしたら、俺の三業自体が輪廻することになり、俺のやったことは、俺の生まれる前に誰かがやり、俺の死んだ後にも誰かがやるということだ。
涅槃自体が、衆生の生死に関わることだ。
業をどうやって済度するのか、答えられるものなら答えてみよ!
さらにキリスト教はルターがバイブルを出すまで、教会は信者にバイブルを読ませなかった。
ルターのバイブル中心主義でいけば、テキストの読み方次第で、異端がボロボロ出てくる。
故にプロテスタントはオーソドックスやカトリックより、魔女狩りがすさまじかったというのも、実に納得じゃ!
正典解釈権を独占して、自分は正統だとうそぶく。
これを考えたやつは天才的な頭脳の持ち主だわ!
こんなていたらくだ。
一番まともな教えは「俺は生きること自体よくわかんねえんだから、死んだ後のことなんか知らねえよ。」(=意訳)といった孔子であろう。
臨終の相からいけば、ソクラテスとイエスは二人仲良く刑死。釈迦はキノコを食って中毒死。布団の中で死ねたのは、世界の四聖の中では先聖孔子だけ。
だったら一番まともな教えは儒教。
そういうことになりますね。
臨終の相からいけば!
俺は刑死はしたくないし、食中毒で死にたくないから。
そんなわけでございます。
じゃあ、バイ、元!