(宗教政策と書くつもりが、社会政策になっていたので当該部分を修正し、加筆しました)
要は国家に脅威を与えないような宗教であれば、どんな宗教であってもかまわない。
下手に国家転覆の野望を持った教えは、徹底的に弾圧し、信者を拷問にかけて棄教転向させればいいからだ。
別に何を拝もうが、借金取り立て人ばりの献金強要をしようがなんだっていいのだ。
別に何を拝もうが、借金取り立て人ばりの献金強要をしようがなんだっていいのだ。
国にしてみれば、ありきたりの事件をバチだの功徳だのと大声でわめいて喜んでいる半キーサンが食い詰めようが何をしようが関係ないのだ。
逆にきちんとした人生の羅針盤も持たず、マスコミ報道に一喜一憂して軽挙妄動するB層以下のおつむの持ち主を、政府の代わりに「牧民」してくれるのだから、宗教団体は実にありがたい。
そして信者に地元のチンピラやキーサンを監視させ、おかしなことをしたら、警察に密告させ、ブラックリストに載せる。
このブラックリストに載ったメンバーは、度を超さない限り野放しにしておく。
下手にこいつらを検束すれば、税金でこいつらを養わなければいけないからだ。
例えば刑務所、例えば精神病院エトセトラである。
さて、ブラックリストに載ったメンバーのうち、割と適応のよい人々は、宗教団体にリクルートする。
そして機関誌をとらせて洗脳し、活動能力のあるものは選挙活動家にさせ、活動能力のないメンバーには、票田金田にして搾取する。
その反対給付として、宗教組織では疎外せず、彼らの社会的孤立からの防波堤になるのだ。
(内心彼らを軽蔑しつつ。)
こんなおいしい団体を、政府が解散させるはずはないではないか。
よっぽどの非行(国家転覆行為)を企んで実行しない限り。
その監視ために、宗教団体には秘密警察のメンバーが、必ず所属しているのである。
逆も真なりで、宗教団体も官公庁にスパイがいる。
そんな訳なのである。
これが政府の、書かれざる宗教政策なのである。
以上、管内の虎ノ門交差点前で、IKMT。