受けがいいやつは、大体周りがいいように操作できるから、受けがいいのだ。
つまり自分にとって、都合のいいやつだから、受けがいいのだ。
自民党員に好かれても、国会議員に嫌われる。石破某。
逆に言えば、国会議員は自民党党員の利益を代表していないということを裏書きしている。
国民に好かれても、官僚に嫌われる。河野某。
逆に言えば、官僚は国民本位の行政をしていないということだ。
実はこの、党員には好かれても、党員の選ぶ国会議員に嫌われるというのは恐ろしいことで、まるでどこかの党のように、党内民主制が徹底していないということであり、自由民主党の名が泣く。
実はこの、国民が喜ぶような簡素でスピーディーな行政機構にすべく、頑張った人が官僚に嫌われるということは、官僚は国民の公僕ではないということだ。
つまり、そんな党であってもよい、そんな行政機構であっていい。それを望む自民党員や官僚に好かれているという人は、それこそ、旧態依然の自民党や国家体制であってもよいと主張する人々に好かれているということだ。
つまり、改革よりも、改革感。
つまり、改革はしていないんだけど、改革したぞ~と、国民に錯覚させる総裁候補を、自民党の国会議員や官僚は推しているということだ。
さて~総裁選の闇の軍資金である、内閣官房機密費は、どの候補に回り、それを候補者が誰にばらまいていることでしょう?
まあ、嫌われ者が総裁になったら、こんな馬鹿なまねはストップしてくださることでしょう。
だから私は嫌われ者を自民党総裁に推す。
以上、ικμτ。