病感と病識は違うことに、遅まきながら、やっと今日気づいた。
今日はなんかイライラして、表で中高年男女が私の悪口を言っているように感じた。
だが、今日はウィークデイ。
働き盛りの人たちがウィークデイの真っ昼間に往来をうろうろし、人の悪口を言う人などいない。
従ってこれは病気の症状だと思って、ドクターからいただいた頓服を飲んだら、イライラ感も悪口を言われているような感じもきれいに消えた。
そして痛かった右膝も楽になった。
そのとき自分が病にかかっていることを実感した。
そうか。
今まで宗教団体の構成員が、私が入信しないので嫌がらせに呪っているんだと思っていたが、もしそうなら、薬を飲んだくらいで楽になるはずがない。
そのとき私は病感はあったが、病識はなかったのだとわかった。
なんかイライラするなあとか、なんか人の声が自分を当てこすっている悪口に聞こえる。
そんな違和感は病感だが、病感はあっても、自分が病気だから、訳もなくイライラしたり、人の話し声が、自分を当てこすっているように感じるのだとは思いもしなかった。
自分が病だと認めるのはつらいが、逆に言えば、薬剤で症状が治まるのだからそれはそれでありがたいことだ。
病識を持つということは、医療福祉関係者の力を借りて、病の症状を抑えたり、治る病気であれば、あまり苦しまずに直せるという思いにもつながる。
そんな感じで病識を持つというのは大事だなと思った。