…からの、「明日は休みだ~!」の夕食。
憩いの鳥真で買った、揚げたてのカレー揚げと、焼き上がりの焼き鳥、カミさんがつくった鮭茶漬けのお湯なし。😅
〈文化〉 ひきこもる人々と社会
2019年7月18日 聖教新聞
川崎市の児童ら殺傷事件と、練馬区の元事務次官の長男刺殺などの悲劇から、1カ月余りが過ぎた。当初、川崎市の記者会見で、容疑者が「ひきこもり傾向にあった」と伝えられた直後から、筆者のもとには「ひきこもりだった人が事件を起こしたことをどう思うか?」といったメディアからの問い合わせが殺到し、容疑者の人物像がどう事件に結び付くのかが分からず、困惑した。
会見の翌日になると、今度はこうした報道を見た家族から「うちの子も同じ行為を起こすのではないか」、本人たちからは「周囲の目線が怖い」などと助けを求める声が相次いだ。事件やその後の対策を報じる映像を見て、心が不安定になり、入院した当事者も続出した。ネット上では「死ぬなら一人で死ねば」などの心ない中傷が流れ、家庭の中で会話のない親子ほど危機的状況に陥っていた。
でも、ひきこもることが要因で事件を引き起こすわけではない。ひきこもりとは、外形的には家族以外の関係性が遮断された状態像のことだが、本人の内面から見ると、安心できない社会や人との交流を避ける場所でしか生きられない状況に置かれた人たちといえる。
筆者は20年以上にわたり、1000人を超える当事者にインタビューしてきたが、その状況や背景は一人一人違っていて、実に多様だ。そして、ひきこもる人たちに共通する心の特性は、基本的に真面目で優しい心の持ち主である。
これまで学校や職場でのいじめやハラスメントなどによって傷つけられてきた経験の蓄積から、自分を守るために回避せざるを得なかった。人との衝突や傷つけ合うのが嫌で、家の中が唯一安心できる居場所になっていて、辛うじて生きている。
そんな人たちが、理由もなく外に飛び出して行って無関係な人に危害を加えることは考えにくい。
最近、話題になっている「8050問題」は、80代の親が収入のない50代の子の生活を支えている世帯のことだ。その背景にあるのは、親は収入のない子の存在を周囲に知られるのが恥ずかしくて隠し、子は自分が親から隠される存在であることを感じて、ますます重荷になる。こうして家族全体が地域で孤立している状態になり、親子とも相談の声が上げられず、ますます見えなくなっていく。
そんな孤立した家庭の中で、高齢の親が亡くなった後、残された子が遺体を遺棄して逮捕されたり、後を追うように孤独死したりする悲劇も最近、全国で相次いでいる。いずれも公的な支援につながっていないか、支援が途絶したままになっていた事例ばかりだ。
なぜ、本人や家族が相談の声を上げられなかったのか。
ひきこもり支援は、これまで若者特有の問題とされ、39歳以下の「就労支援」にばかり力を入れてきた。また、障害認定を受けなければ支援してもらえないなどの「制度のはざま」に置かれてきた。内閣府が40代以上の「ひきこもり実態調査」を初めて行い、3月末に発表したが、国の施策は大きく立ち遅れてきた。
KHJ全国ひきこもり家族会連合会(K=家族、H=ひきこもり、J=日本)の調査によると、40代以上で10年以上ひきこもる長期高齢者の7割は就労経験者だ。職場で傷ついて恐怖を感じている当事者たちが多いのに、従来の職場に押し戻す目的で社会適応の訓練を主体にした就労支援は、ひきこもり支援にはなじまない。
当初、子ども若者・就労施策主体で枠組みが設計されたためにミスマッチを起こし、40代以上の事例や深刻な状況の人たちが取りこぼされ、長期高齢化の一因になったといえる。せっかく勇気を出して相談しても、「親の育て方が悪い」「なんでここまで放置したの?」などと責められ、二度と行きたくないと諦めてしまった家族も多い。支援の途絶は、支援する側のコミュニケーション力自体にも問題がある。
事件後、KHJ家族会や経験者でつくるUX(ユニーク・エクスペリエンス〈固有の体験〉)会議は、根本厚労相や各政党の勉強会に呼ばれて意見交換を行った。このように当事者団体がヒアリングされるのは初めてのことだ。すでに一連の事件前から私たちにヒアリングしていた公明党は、事件後にも2回目の意見交換の場を設けてくれた。
政府は、元々打ち立てていた「就職氷河期世代活躍支援プラン」に、中高年ひきこもり支援を盛り込む支援策を示している。だが、家族や本人が安心して相談できる体制ができていない。つながりを持てるきっかけは、就労という成果を出すことが目的になる支援ではなく、本人が生きる意欲を持てるような居場所づくりだ。
各自治体のプラットホームには、経済団体や労働局、地域若者サポートステーションなどの就労支援機関が中心になるのではなく、家族が公的な相談機関につながって、本人が家から出られなくても、その人らしく生きていける受け皿をつくることだと思う。
「働かなければいけないのではないか」「そんな自分は生きていてはいけないのではないか」「発言してはいけないのではないか」――そうした無意識のバイアスにとらわれ、どんどん姿が見えなくなっていく。そんな当事者たちが苦しめられている価値観をまず、皆で書き換えていくことが必要だ。
(ジャーナリスト)
いけがみ・まさき 1962年、神奈川県生まれ。通信社勤務を経てフリーのジャーナリストに。ひきこもり問題、東日本大震災などのテーマについて取材、執筆してきた。KHJ全国ひきこもり家族会連合会理事。著書に『大人のひきこもり』『ルポひきこもり未満』、『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(共著)などがある。
「死ぬなら一人で死ねば」…自分も短絡的だから、報道をみてそう思った一人。
自分も心が折れる場面が最近、立て続けに起きていて、ひきこもり傾向に陥りそうなんだけど…。
『ひきこもり』…他人事とは思えない。