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役目終えた新幹線、最後に走る「車道」 トラックに引かれ展示先へ...目撃写真に反響

2018年11月09日 22時07分36秒 | のりもの

役目終えた新幹線、最後に走る「車道」 トラックに引かれ展示先へ...目撃写真に反響

 

2018年11月8日深夜、道路の上にたたずむ新幹線という珍しい写真が撮られた。カメラマンの腕が優れていたためか、幻想的な一枚となっている。

E2系陸送の水鏡・・・感無量です。 pic.twitter.com/miUIjsrIPN
- KOKI (@2000toritetu65) 2018年11月8日

KOKI(@2000toritetu65)さんのツイートより

地面の水たまりに新幹線とトレーラーが反射して美しいこの写真、福島県の「白河の関 トラックステーション」で撮られたものだ。しかし、線路の上を走るはずの新幹線がなぜ道路上にいるのか――。

実は深夜しか走れない

この車両はJR東日本の「E2系」で、近年は東北・上越・北陸新幹線で活躍していた。老朽化で引退し、新潟県の車両基地からトレーラーで運び出され、移動中だった。

目的地は茨城県筑西市の総合レジャーパーク「ザ・ヒロサワ・シティ」。新潟から茨城まで長距離の旅程だが、「ザ・ヒロサワ・シティ」の担当者に取材したところ、大型車両ゆえに移動には道路法上の特殊車両として特別に許可をもらっており、夜間の23時から5時の間しか走行できないそうだ。

8日0時に新潟を出発し、同日朝に福島県湯川村の「道の駅あいづ湯川・会津坂下」に到着。新潟を出発した時から鉄道ファンや居合わせた人により写真が撮られるなど話題になっていた。

2018/11/8? 23:20
JR上越新幹線車両陸送
E2系 0番台 J14編成
(E224-127)先頭車
※ 牽引 アチハ株式会社
国道49号線より
陸送開始は0時くらいだろうとベッドで寝ていたら、地元の先輩から連絡が入り、パジャマのまま自宅を飛び出しました
先輩 貴重な写真を撮らせて頂きありがとうございました pic.twitter.com/HS3o4BZEiS
- ?快速SLオコジョ幸せ物語? (@loveC57180) 2018年11月8日

人気のない深夜の道路、我が物顔で新幹線の巨体が横切る(@loveC57180さんのツイートより)

8日夜に南下して「白河の関 トラックステーション」に到着し、前述の写真が撮られたというわけだ。9日の夜まで同地にとどまり、また深夜に移動を開始して、10日未明に「ザ・ヒロサワ・シティ」に到着予定だという。また8日昼に休憩中だった道の駅あいづ湯川・会津坂下では地元メディアも駆け付け、居合わせた多くの人々の注目を浴びていた。

福島県の道の駅にて上越新幹線のE2系の陸送に遭遇しました。どこに行くのかな? pic.twitter.com/CZyfAH1j2S
- nobu1919⇔ (@smsm1919nobu) 2018年11月8日

今どの辺りを走っているんだろう?
気になって寝れない...#E2系 #陸送 #鉄道陸送
- ヒロタン@郡山市 (@hirotan1977) 2018年11月8日

「ザ・ヒロサワ・シティ」では以前から、人気の寝台特急「北斗星」、蒸気機関車「D51」などの鉄道車両を合計10両保存、展示している。新幹線車両の譲渡もJR東日本に打診しており、今回E2系が譲渡されることになった。11月中旬には公開を始める計画だそうである。

茨城で余生を過ごす新幹線。本格的な展示が始まる前から、その移動姿はたくさんの人に目撃され、ネット上でも話題になっていた。


素晴らしい写真だねぇ。

…というより、今現在はまだトラックステーションにいるっていうことだよね。

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JR東日本、新潟駅の使用停止した地上ホームを一般公開! 5/20開催

2018年05月17日 16時56分29秒 | のりもの

JR東日本、新潟駅の使用停止した地上ホームを一般公開! 5/20開催

JR東日本、新潟駅の使用停止した地上ホームを一般公開! 5/20開催

マイナビニュース

(マイナビニュース)

JR東日本新潟支社は15日、新潟駅の高架駅第1期開業記念イベントを5月20日に開催すると発表した。当日は開業記念イベントやキャンペーンを行うほか、使用停止した地上ホームの一般公開も予定している。

新潟駅では4月15日に高架駅第1期開業を迎え、新たに在来線高架ホームを使用開始。在来線5番線ホームは新幹線11番線ホームと同一階にあり、乗換え改札が2カ所整備され、在来線の特急「いなほ」から上越新幹線「とき」「Maxとき」へ同一ホームで乗換え可能となった。高架駅第1期開業にともない、新潟駅の地上ホームは8・9番線ホームを除いて使用停止となった。

5月20日の開業記念イベントは新潟市、新潟県、JR東日本新潟支社が主催し、10時から16時30分まで新潟駅南口広場で開催。10時からの記念式典には新潟市長、新潟県副知事、JR東日本新潟支社長らが参列し、11時以降は新潟・山形・秋田伝統芸能ステージや会場内ブースでの食・観光PRに加え、開業記念のパン・おにぎりもふるまわれるという。JR東日本新潟支社ブースでは、子供限定で電車のペーパークラフト作り・缶ストラップ作りを体験できるほか、記念撮影用に子供駅長制服の貸出しも行う。

使用停止した地上ホームの一般公開は5月20日12時以降に実施。CoCoLo万代旧地下改札口で受付を行い、地下連絡通路を通って旧2・3番線ホームを公開する。ホームの端から旧1・2番線の線路の一部に降りることも可能だという。なお、撤去工事中の現場内での公開となるため、入場する際は「ヘルメット及び安全ベストを着用していただきます」「線路に降りる場合、足元が大変不安定な状況となります。サンダル、ハイヒール等での参加はご遠慮ください」とのこと。

新潟駅では今後、使用停止した地上の旧1〜4番線を撤去し、新たに高架1番線を整備する工事を進める予定で、「撤去予定のホームに触れる最後の機会となりますので、ぜひ、お越しください」と新潟支社。イベント当日の新潟駅では、対象店舗での商品購入者などを対象とした「開業記念ハシ鉄プレゼントキャンペーン」「開業記念CoCoLoメンバーズタッチラリー」も行われる。
 

 
当日は本部幹部会の衛星中継行事に参加予定なんだよねぇ。
 
でも記念イベントにも興味があるなぁ。
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因美線でスローライフ列車乗ろう

2018年05月09日 17時26分18秒 | のりもの

因美線でスローライフ列車乗ろう

因美線でスローライフ列車乗ろう

山陽新聞

(山陽新聞)

 旧国鉄時代の車両に乗りながらローカル線の風情や沿線のイベントを楽しむ「みまさかスローライフ列車」が12、13の両日、JR因美線津山—智頭間で運行される。 昭和30〜40年代の車両をイメージして造られ、普段は津山線などを走る気動車(3両編成)が1日1往復。津山駅を午後0時3分に出発し、4時49分に戻る。停車駅ごとに郷土芸能の発表や山菜類・餅の販売、鉄道風景のパネル展示などを企画している。1、2号車が自由席。指定席(3号車)は両日とも完売した。 問い合わせはJR西日本岡山支社営業課(086—225—1170)。
 

 
そういえば、只見線ってどうなったんだっけ?
 
全線を通して乗ったのは過去に1回だけしかないんだけど、癒されたよなぁ。
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【鉄道ファン必見・動画】運転士、緊張の一瞬 デッドセクションを切り抜けろ 交直切り替え、JRに7カ所

2018年03月03日 22時33分13秒 | のりもの

【鉄道ファン必見・動画】運転士、緊張の一瞬 デッドセクションを切り抜けろ 交直切り替え、JRに7カ所

【鉄道ファン必見・動画】運転士、緊張の一瞬 デッドセクションを切り抜けろ 交直切り替え、JRに7カ所

北陸トンネルの敦賀側出入口付近に設けられたデッドセクションを通過する特急電車

(産経新聞)

 鉄道の電化方式の種類は直流と交流に分かれ、またがって列車が運行する場合は車両の電気方式を切り替える必要がある。このような区間はJRでは北陸線敦賀−南今庄(福井)など全国に7つ。切り替えの手順は、境界にデッドセクションという架線に電気を流さない区間を設定し、列車が惰性で走る間に運転士が電気方式をスイッチで変えるというもの。一瞬とはいえ電気が通っていないため、国鉄時代の車両などは車内の照明が消え、驚く乗客も見られた。

 鳴り響く自動音声

 JR西の北陸線を走る普通電車521系。福井側から長い北陸トンネルを抜けると敦賀駅(福井)は目前だ。すると運転席に自動音声が繰り返し鳴り響く。「間もなく交直切り替え」。同線の上り線はトンネルを出た直後の地点で、電化方式が交流から直流に変わるのだ。切り替えは、架線に給電されていない数十メートルあるデッドセクションを惰行で通り抜けるときに運転士が行う。その注意喚起のアナウンスだ。

 切り替えずに直流区間に突入すると車両故障につながる。また、デッドセクションの途中で列車が停止してしまうと、電気の供給が受けられずに立ち往生する。実際、過去にこのような事故は発生している。

 敦賀駅に向かっては下り勾配とはいえ、長さ13キロを超える長大トンネルの暗闇の中を運行し、出てすぐにデッドセクションを通るのは、運転士にとっては緊張の連続だろう。その後、運転席の自動音声は「交直切り替え確認」に変わり、列車はスムーズにデッドセクションをクリア。やがて敦賀駅到着を告げる車内放送が流れた。

 動く切り替え境界

 日本の鉄道は車両が比較的安く製造できる直流と、変電所などの初期投資が抑えられる交流に分かれている。運行数が多い首都圏や関西圏は直流で電化されている一方、本数が少ない北陸、東北などは交流だ。

 北陸線は昭和32(1957)年、敦賀−田村(滋賀)間で日本主要幹線としては初めて交流電化された。「交直切り替え」の歴史は紆余曲折をたどってきた。

 当時、直流電化されていた東海道線の米原(同)と田村の間は非電化で残されたため、この区間の列車は蒸気機関車、ディーゼル機関車が牽引(けんいん)した。田村駅が現在も広い構内を持つのは機関車の待避線などが設けられた名残りだ。37年にようやく米原−田村が直流電化され、田村の米原寄りに初めてデッドセクションが設けられた。

 そして面白いことに、このデッドセクションは徐々に北上していく。平成3年に新快速を長浜(滋賀)まで乗り入れるため、交流だった田村−長浜間を直流に変えたため、デッドセクションは長浜−虎姫(同)間へ。さらに新快速延伸のため、18年に敦賀まで直流化。敦賀以北は交流電化で、デッドセクションは敦賀寄りの北陸トンネル出入り口に移動した。

 3セクに移行

 平成35(2023)年春に予定されている北陸新幹線の敦賀延伸が実現すれば、並行する敦賀−金沢間は第3セクターへ移行するため、敦賀付近のデッドセクションは、その3セク区間となる。

 また、交直切り替えで唯一、架線に流す電気を切り替え、パンタグラフの上げ下げで対応する方式が東北線の黒磯駅(栃木)に一部存在したが、ことし1月に廃止され、敦賀などと同じタイプに統一された。運用が複雑な上、保守にも経費がかかるためという。

 古い国鉄型の車両ではデッドセクションを通過する際、車内は非常灯だけになったものだが、新型車両は蓄えた電気で消えない。乗客にとってはあまり関係ない存在になった交直切り替え。しかし、運転士はきょうも緊張しながら、デッドセクションに突入する。


十数年前の夜、特急いなほで羽越線のデッドセクションを通過した時は、一瞬の停電があったけど、車窓の明かりがキレイだったなぁ。

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JR貨物3/17ダイヤ改正 - DD200形新製、コキ50000形定期運用終了

2017年12月18日 21時13分06秒 | のりもの

JR貨物3/17ダイヤ改正 - DD200形新製、コキ50000形定期運用終了

JR貨物3/17ダイヤ改正 - DD200形新製、コキ50000形定期運用終了

マイナビニュース

(マイナビニュース)

JR貨物は2018年3月17日にダイヤ改正を実施する。関西・東北間、九州・関東間など中長距離区間のコンテナ列車新設と輸送力増強がおもな内容に。電気式ディーゼル機関車DD200形をはじめ、機関車・コンテナ貨車・コンテナの新製・増備も発表している。

電気式ディーゼル機関車DD200形は、非電化区間の貨物列車牽引および貨物駅構内での入換作業で使用してきた液体式ディーゼル機関車DE10形・DE11形の老朽化にともなう置換用として、今年は試作車1両が製作された。DE10形・DE11形と同様の左右非対称の凸型車体ながら、JR移行後に導入した電気式ディーゼル機関車DF200形・電気機関車EF210形の技術を応用し、性能確保と信頼性向上を図った点が特徴。JR貨物は今回、機関車6両の新製を発表しており、うち1両はDD200形とされた。

機関車は他に直流電気機関車EF210形2両、ハイブリッド方式を採用した駅構内入換作業用の機関車HD300形3両を新製。さらにコンテナ貨車コキ107形442両、コンテナ4,000個(19D形2,600個、19G形1,400個)を新製する。なお、国鉄時代から使用してきたコンテナ貨車コキ50000形は来年3月のダイヤ改正をもって定期運用を終了。コキ107形をはじめ100km/h以上の走行に対応した形式への置換えが完了する。

関西・東北間に新設されるコンテナ列車の時刻は吹田貨物ターミナル駅22時14分発・陸前山王駅12時10分着(列車番号2058〜4059)、陸前山王駅23時6分発・吹田貨物ターミナル駅15時44分着(列車番号4058〜2059)とされ、途中の郡山貨物ターミナル駅・仙台貨物ターミナル駅に停車し、陸前山王駅から仙台臨海鉄道の仙台港駅へ直通する。「主に大手特積事業者様の専用としてご利用いただくとともに、多様化するお客様のニーズにお応えするため、輸送力の一部をご提供します」(JR貨物)とのこと。

九州・関東間の自動車部品輸送は大手自動車メーカーの要望を受けて開始され、北九州貨物ターミナル〜相模貨物間に専用の直行輸送力を新設。自動車部品とその返送積付用品(輸送途中におけるコンテナ内部の荷崩れや偏積を防止するための養生材)の往復輸送を行う。積合せ荷物(宅配便など)の需要が非常に強く、鉄道輸送へのモーダルシフトが引き続き旺盛な京浜地区から九州向けの輸送力増強も進める。
 

 
ちょっと自分の仕事に関わるかもしれない話題なので…。
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小田急電鉄、複々線で混雑緩和へ 新ダイヤ発表、制服も一新

2017年11月09日 20時58分55秒 | のりもの

小田急電鉄、複々線で混雑緩和へ 新ダイヤ発表、制服も一新

小田急電鉄、複々線で混雑緩和へ 新ダイヤ発表、制服も一新

制服はジャケットとベストがグレー、ズボンがブラック。異なるカラーを組み合わせたのは初で、新しい小田急のシンボルとなる

(みんなの経済新聞ネットワーク)

 小田急電鉄が複々線工事の完成に伴い、2018年3月から新ダイヤで運行する。登戸駅〜代々木上原駅間が複々線区間となり、列車の増発による通勤時間帯の混雑緩和や所要時間の短縮を実現する。(新宿経済新聞)

 ラッシュピーク時(下北沢駅着8時前後の1時間)の列車を9本増発し、混雑率はやや圧迫感のある192%から、新聞や雑誌を読める150%程度に緩和できる見込み。町田駅から新宿駅までの所要時間は最大12分短縮されて37分となる。

 星野晃司社長は「小田急は混んでいて遅いと言われていたが、そのイメージを一新できる」と自信を見せる。新宿から観光地までのアクセスも便利になる。取締役交通サービス事業本部長の五十嵐さんは「新宿・小田原間の所要時間60分を切ることは、小田急線開業以来の悲願。今回のダイヤ改正で59分になる」と喜びを語る。

 東京メトロ千代田線への直通列車も17本増発して28本となり、乗り換えなしで都心へアクセスできる。小田急多摩線と江の島線から新宿駅直通列車、朝と夕夜間の通勤特急ロマンスカーもそれぞれ増発となり、快適でスピーディーな運行が可能になる。他社線への直通列車の増発による遅延の影響については、「混雑の緩和で、かばんが戸袋に挟まるといった遅延が起きる事象が減る。乗り換えもスムーズになるので、遅延は縮小傾向になると考える」と五十嵐さん。今後も課題として調整を進めるという。


登戸から代々木上原まで複々線化かぁ。

高校時代の通学で、小田急の急行でのノロノロ運転を経験している身としては、隔世の感があるなぁ。

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「北の玄関」上野駅は30年でこんなに変わった 「ふるさとの訛」「夜行列車」も今は昔…

2017年11月05日 17時19分41秒 | のりもの

「北の玄関」上野駅は30年でこんなに変わった 「ふるさとの訛」「夜行列車」も今は昔…

 

「北の玄関」上野駅は30年でこんなに変わった 「ふるさとの訛」「夜行列車」も今は昔…

「北の玄関」上野駅は30年でこんなに変わった

(東洋経済オンライン)

 

上野駅15番ホームの入り口には「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにいく」の石川啄木が詠んだ短歌のモニュメントがある。

「東北の玄関口」と長い間言われ続けてきた上野駅。この駅は故郷から上京してきた人たちにとって思い出多き駅である。とりわけ東北、北陸方面から夜行列車で到着した時の感慨はひとしおであり、薄暗い行き止まり式ホームを重い荷物を手に歩いた日は決して忘れることができないことであろう。

列車に残った雪に涙…

その昔、上野駅には東北方面からやってくる「集団就職列車」発着の専用ホームが設けられていた。今は廃止された18番ホームがそうであった。

かつて夜行列車の取材で上野近辺の駅前旅館に泊まり込んだ時、駅前の大衆酒場で「古い電気機関車に牽(ひ)かれた普通列車や急行列車は、冬になると客車の車輪や車体に雪をつけてホームに入ってきた。その雪をそっとなでたら涙が止まらなかった……」と夢半ばにして集団就職の職場から離れた初老の男性から聞いたことがある。

東北や北陸へ向かう在来線特急・急行の利用者でにぎわった国鉄時代の上野駅ホーム(筆者撮影)

昭和30年代、高度成長期のさなかに「金の卵」と言われた、中学・高校を卒業したばかりの少年少女が集団就職列車に乗って上野駅に到着したときの思いは、同世代の筆者には大いに共感することができる。

その集団就職列車の少年の心情を唄ったのが「ああ上野駅」(作詞:関口義明、作曲:荒井英一、歌:井沢八郎)で「どこかに故郷の香をのせて……」は今も懐メロ演歌として歌い継がれ、その歌碑は駅の不忍口のガード下に残っているが、足を止める人は少ない。

時代とともに18番ホームは常磐線へのホームへと変わり、寝台特急「ゆうづる」がここから発車していった。そして、今はそのホームも「ゆうづる」も消えてしまった。

 

高架の2階ホームから発着していた特急「あさま」と「とき」。どちらも愛称は新幹線に引き継がれた(筆者撮影)

東北・上越新幹線の開業により、東北地方や新潟方面に向かう上野始発の特急「はつかり」「やまびこ」「ひばり」「とき」などが姿を消し、一部の列車は新幹線の愛称名として引き継がれることになった。ちなみに在来線特急「やまびこ」は上野―盛岡間を7時間5分で結んでいたが、その愛称を引き継いだ東北新幹線「やまびこ」は、開業当初から最速2時間45分で両駅間を結び、大幅なスピードアップとなった。

だが、在来線の長距離特急・急行が多く廃止されたのは、上野駅の衰退の始まりでもあったように思う。新幹線の終着駅として「北の玄関口」としての体面は保ち続けたものの、1991(平成3)年に新幹線の上野―東京間が延伸開業すると、東北・上越新幹線の列車の多くが東京始発・終着になり、上野駅はほぼ全列車停車するものの、終着駅ではなく列車が通り抜ける「通過駅」になった。

地平ホームに到着した、EF57形電気機関車が牽引する客車列車(筆者撮影)

先日、久しぶりに上野駅の地上ホームを訪れた。ここが北の玄関口だったか……と思うほど、日中は閑散としていて、上野駅になじみ取材を数多く続けてきた筆者には特に感慨深いものがあった。特に「北斗星」「あけぼの」を最後に上野発着の夜行列車が全廃されたことには寂しさもひとしおで、思わず「上野発の夜行列車……」と口ずさんでしまったほどである。

そんな気持ちの中、13番ホームには豪華列車「TRAIN SUITE四季島」がその姿を横たえていて、少しは往年の上野駅の雰囲気を醸し出していた。このホームはかつて、青森方面へと向かう急行「津軽」「八甲田」、特急「あけぼの」などの名列車が発着した夜行列車の定番ホームだったのだ。


東京に住んでいたころ、父親の実家である柏崎へ行くときに、上野駅から特急「とき」または急行「佐渡」に長岡まで乗った覚えがある。

日中であれば特急「とき」、夜行であれば急行「佐渡」だった。

長岡からは鈍行列車で柏崎に向かったのだが、そのうちに特急「はくたか」を利用すれば乗り換えなしだと分かり、これを利用するようになったが。

未明に長岡に着いて乗り換えた列車は、たしか蒸気機関車がけん引する客車列車。汽笛が鳴って、一瞬ののちに列車が動き出した思い出がある。

旅程を考えるのは自分で、これが時刻表、ひいては鉄道ファンになるきっかけになったんだろう。

小学生の頃は、父親に借りたカメラで列車を撮りに行ったのも上野駅だし、北海道への新婚旅行も上野からの寝台列車だった。

たまに上野駅に降りると、何となく昔の思い出がよみがえるんだなぁ。

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【鉄道ファン必見・動画】40年前の時刻表を読む 名列車がつけたナンバー「1」 さくら、はつかり、くろしお…

2017年10月25日 18時43分56秒 | のりもの

【鉄道ファン必見・動画】40年前の時刻表を読む 名列車がつけたナンバー「1」 さくら、はつかり、くろしお…

【鉄道ファン必見・動画】40年前の時刻表を読む 名列車がつけたナンバー「1」 さくら、はつかり、くろしお…

583系を使用した特急はつかり。東北線を代表する名列車だった

(産経新聞)

 東京からの九州行きブルートレインの先陣を切った「さくら」。名古屋からわざわざ紀伊半島を回って天王寺を目指した「くろしお5号」。新幹線開通前の東北線を快走した「はつかり5号」。ちょうど40年前、昭和52年10月号の「国鉄監修 交通公社の時刻表」を開くと、名列車たちがよみがえる。いま挙げた3本の特急には共通点がある。それはエリートトレインの証明である列車番号「1」が付けられていたことだ。

 ■ファーストナンバーの風格

 下り「さくら」は16時30分に東京を出発。長崎行きが食堂車込みの8両、佐世保行きが6両。計14両を電気機関車EF65の500番台がピンク色のヘッドマークを掲げて牽引していた。列車番号は「1」。まさに国鉄を代表する特急列車の風格を感じさせた。

 下り「くろしお5号」は名古屋9時50発。新宮、白浜、和歌山と紀勢線を丹念にたどり、天王寺には18時14分着。前面のデザインからブルドックと呼ばれたキハ81を使用していた。列車番号は「1D」だった。

 下り青森行き「はつかり5号」の列車番号は「1M」。16時に上野を出発すると停車駅は宇都宮、福島、仙台、盛岡だけ。夜は寝台特急、昼は通常の座席特急として使われた583系の13両編成で、自由席はなく、まさに選ばれた特急といった感じだった。

 ■列車個々への識別番号

 列車番号は国鉄、JR各社のすべての列車に付けられており、業務上、列車を指し示す場合はこの番号が用いられる。例えば、大阪駅の姫路行き新快速は1日に何本もあるが、列車番号「3417M」といえば8時38分発と限定される。下りは奇数、上りは偶数で、末尾に電車の場合は「M」、ディーゼルカーの場合は「D」が付き、客車の場合は何もつかない。全国で同じ番号が存在する可能性もあるが、走行区間は重ならないようになっている。

 時刻表にも掲載されているが、あくまで内部的なもの。しかし、その番号が1桁なら格の高い列車とされ、「1」ならば、その路線を代表する列車と認定されたのに等しい。現在、ブルートレインの廃止で客車の番号「1」を付けている列車は存在しない。

 ■国鉄のプライド

 当時、列車番号「1」はほかにもあった。函館発釧路行きの「おおぞら1号」は「1D」。その「おおぞら1号」に接続する青函連絡船は「1便」。さらに、青森で連絡したのは「1M」の「はつかり5号」と、上野から乗る列車、連絡船すべてが「1」だ。

 「はつかり」は5号より先に上野を発つものの、青森や函館での接続があまりよくなかった1〜4号には2桁の番号が与えられていた。つまり5号は北海道連絡の中心を担う列車と位置付けられていたのだ。まさに王道の接続パターン。長距離輸送は我らが担うという、当時の国鉄のプライドが感じられる。

 ほかにも名古屋発富山行きの「しらさぎ1号」や東京発館山行きの「さざなみ1号」などが「1M」。「しらさぎ」は現在もファーストナンバーをつけている。当時、ヒット曲で有名になった新宿8時ちょうどの「あずさ2号」は「3M」。ちなみに昭和53年10月のダイヤ改正で、下り上りは関係なかった号数の付け方が下りは奇数、上りは偶数となったため、新宿発の2号は「あずさ3号」になった。


PCを打っている机の引き出しに、昭和51年3月号の時刻表が入っているんだよねぇ。

ついつい見返してしまったよ。

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JR発足30周年スペシャルツアー「カシオペア」をEH500形が牽引 - 10/18発売

2017年10月19日 21時27分04秒 | のりもの

JR発足30周年スペシャルツアー「カシオペア」をEH500形が牽引 - 10/18発売

JR発足30周年スペシャルツアー「カシオペア」をEH500形が牽引 - 10/18発売

マイナビニュース

(マイナビニュース)

JRグループは17日、JR発足30周年記念「JR7社共同企画 スペシャルツアー」について発表した。観光列車コース「24の列車で繋ぐ じっくり日本列島縦断10日間」(12月5日出発)、新幹線コース「新幹線で行く 日本列島縦断3日間」(12月15日出発)が企画され、ともに発売日は10月18日。インターネットまたは電話にて予約を受け付ける。

観光列車コース「24の列車で繋ぐ じっくり日本列島縦断10日間」(募集人員60名)は9泊10日の行程で、12月5日の上野発「カシオペア」で出発。「憧れの寝台列車『カシオペア』をJR貨物EH500形電気機関車で牽引する非常に珍しい光景」を見られる(牽引機関車は途中でEF81形に変更)。2日目は新青森駅から「はやぶさ」で北海道へ。3日目は札幌駅から新函館北斗駅まで「ノースレインボーエクスプレス」、新函館北斗駅から盛岡駅まで「はやぶさ」、盛岡駅から仙台駅までE655系ハイグレード車両「なごみ(和)」に乗車する。

4日目は仙台駅から大宮駅まで「現美新幹線」に乗車。その後も新幹線を乗り継いで名古屋方面へ向かい、5〜6日目は高山本線などを経由して金沢・能登方面へ向かう。7日目は和倉温泉駅から特急「能登かがり火」「サンダーバード」、京都駅から「のぞみ」、岡山駅から特急「しおかぜ」で松山駅へ。8日目はバス移動の後、福山駅から「500 TYPE EVA」、博多駅から特急「かもめ」に乗車する。9日目は軍艦島上陸クルーズを行った後、長崎駅から新鳥栖駅まで「A列車で行こう」に乗り、新鳥栖駅から岡山駅まで新幹線で移動し、岡山駅から寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」で東京駅に帰着する。

夜行列車やJR各社の観光列車に乗車でき、中には通常と異なる区間で運行される列車も。厳選された宿での宿泊や特別な観光なども楽しめる。「24の列車で繋ぐ じっくり日本列島縦断10日間」の旅行代金は1人39万〜48万円(大人のみ)。

新幹線コース「新幹線で行く 日本列島縦断3日間」(募集人員80名)は12月15日に新函館北斗駅を出発し、「はやぶさ」「のぞみ」「さくら」などを乗り継いで12月17日に鹿児島中央駅に到着する2泊3日の行程。1日目は名古屋駅で下車して「リニア・鉄道館」を見学し、普段は公開されていない300Xやオハ35形の車内、100系食堂車食堂が特別に公開される。2日目は金刀比羅宮(岡山〜琴平間は特急「南風」に乗車)、3日目は吉備津神社を訪ねる予定。募集人員は80名で、旅行代金は1人15万円(大人のみ)。

観光列車コース・新幹線コースともにインターネット予約は「日本の旅、鉄道の旅」、電話予約はびゅうトラベルサービス大人の休日予約センターにて、10月18日13時から受け付ける。購入者には各コースともにオリジナルピンバッジが付く。
 

 
旅に出たいけど、今の仕事じゃ夢のまた夢だなぁ。
 
久しぶりに大盤の時刻表でも買ってみようかな。
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エンジンルームに猫、なぜ侵入? 乗る前の「猫バンバン」は夏も必要か

2017年08月20日 20時57分48秒 | のりもの

エンジンルームに猫、なぜ侵入? 乗る前の「猫バンバン」は夏も必要か

エンジンルームに猫、なぜ侵入? 乗る前の「猫バンバン」は夏も必要か

クルマの下にたたずむ猫。エンジンルームに入り込むこともあるという。画像はイメージ(画像:photolibrary)。

(乗りものニュース)

クルマのエンジンルームに猫が入り込むことがあり、ドライバーの存在を猫に気づかせるためにボンネットを叩く運動を日産が広げています。冬に多いようですが、じつは夏にも注意が必要なようです。そもそもなぜ、クルマの中に猫が入り込んでくるのでしょうか。

エンジンルームには「穴」が空いている

 クルマのエンジンルームに猫が入ってくることがあるようです。

 長野県に住む30代男性ドライバーは、「冬の寒い時期、エアコンから生き物の臭いがするのでボンネットを開けてみたら、猫の毛だらけで、ボンネットの内張りには爪でひっかいた跡も無数にありました。エンジンを止めたあとのエンジンルームは暖かいので、知らないうちに猫が寄ってきていたのでしょう」と話します。

 猫が入り込んだままエンジンをかけると、悲しい事故につながります。このことから日産は「猫バンバンプロジェクト」と題し、猫に存在を知らせるためエンジンをかける前にボンネットを叩くことを広めています。

 日産は2015年11月に公式Twitterで「#猫バンバン」を発信し、2016年1月には特設サイトも立ち上げてこの活動を推進してきたといいます。同サイトには「寒くなると街の猫たちがエンジンルームやタイヤのあいだに入ってしまうことがあります」とあるなど、おもに冬が想定されていますが、前出の男性ドライバーは、「猫の存在に気づいたのは冬でしたが、エアコンの臭いの蓄積を考えると、それ以前からすみかになっていたのでしょう」といいます。

 夏でも猫が入り込んでくることがあるのでしょうか。日産に聞きました。

――そもそもなぜ猫がクルマの中に入ってくるのでしょうか?

 エンジンルームには穴が空いているからです。車種によって穴の大きさやエンジンルームの内部構造は異なりますが、タイヤの隙間を伝ってエンジンルームに入ってくる場合もあります。

――夏でも猫が入ってくることはあるのでしょうか?

 冬に多いですが、1年を通じてそうした事例はあります。

エンジンをかけてからでは手遅れに? 対策は

――エンジンをかけてからでは手遅れになるのでしょうか?

 そうなってしまうケースもあります。というのは、エンジンルーム内のベルトやプーリー(ベルトがかかる滑車部分の部品)が、エンジン始動と同時に回転し、これらに挟まれてしまうことがあるからです。

――猫が入り込まないようにするにはどうしたらよいのでしょうか?

 エンジンルームの穴はエンジンの熱を逃がすために重要で、機能的に意味があるものなので、これを完全にふさぐことは難しいのではないかと思います。もちろん駐車環境はお客様ひとりひとり異なるものですが、シャッター付きのガレージなど猫が入り込まない場所にクルマを置くことが有効だと思います。

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 日産は、もしも悲しい事故が起こってしまった場合は「部品の交換が必要になることもあるので、ディーラーや整備工場に相談した方がよいでしょう」といいます。

 前出の男性ドライバーは、幸いにもエンジンルーム内での事故は起きなかったそうですが、整備工場に相談したところ、バッテリーカバーを交換したり、エアコンの脱臭をしたり、市販の金網などでエンジンルームの穴にカバーをしたりしてもらったそうです。それ以降は「猫バンバン」をするようになったこともあり、猫が入ることはなくなったといいます。


マイカーを取得して30年近くなるけど、そうした事例な無かったなぁ。

とはいえ、猫が多いこともあるし、明日から実践してみる…? 

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