憧れの職を辞してまでタレントになったワケは……?(写真 : 苦行僧 / PIXTA)
(東洋経済オンライン)
みどりの窓口で接客していると、いろいろな利用客に出会える。たとえば、こんな利用客がいた。
「乗車券を大阪から鳥取まで1枚、鳥取から出雲市まで1枚、出雲市から下関まで1枚欲しいんやけど、安く買える方法あったら教えてや」
さすが、関西の主婦だ。しかし、私も関西人。私に任せてください、と言わんばかりの笑顔で返し、「お得な買い方」を説明する。
「ばらばらに購入されるよりも大阪から下関まで通しで購入された方が得ですよ。鳥取や出雲市では途中下車できますし、有効期間も長いのでお得です」
すると、お客様は「ほな、それで切符ちょうだい! わぁ、助かるわぁ! 得した」と喜んでくれた。
最初の仕事は新幹線の車内販売
さらに、切符を発券中にも声をかける。「鳥取も出雲市もおいしい駅弁がたくさんありますよ。鳥取駅で売っている山陰鳥取かにめしは人気があるそうです」と、少しだけ旅情報を添える。
お客様は「得したお金で、駅弁買お!」と笑顔でみどりの窓口を後にした。これから始まる旅行にワクワクしているに違いない。こんなときは楽しそうに旅行するお客様を思い浮かべて、私もニヤニヤしてしまう。
ときには、切符を販売したお客様が土産話を持って窓口に訪れる事もある。お客様を笑顔にする。これが切符販売の最大の醍醐味だ。
私、古谷あつみは鉄道タレントとして芸能界で活動しながら、観光系の専門学校で鉄道科の講師も務めている。その前はJR西日本の駅係員だった。東海道新幹線の車内販売員をしていたこともある。
鉄道に魅せられたきっかけは、小学校の社会科見学で大阪の泉佐野市にある日根野電車区へ行ったこと。特急「はるか」の運転台に乗せてもらい、「キハ」とはこういう意味で、「クハ」とはこういう車両と、JR西日本の社員さんから車両の記号を教わったとき、何かの暗号を知ったような気分になり、とても興奮したのを今でも覚えている。
私は、電車や飛行機といった大きな乗り物が大好きだった。近所の幼なじみが全員男の子だった事もあり、いつもプラレールで遊んでいた。祖父からもらったお小遣いを握り締め、一人で電車に乗り込んだ時、探検隊にでもなった気分だった。どこまでも続く線路に胸を躍らせ、運転台にかぶりついていた。
そんな私が専門学校を卒業し、最初に働いた職場は東海道新幹線。車内販売員になったのだ。
40種類程の商品を積み込み、重さが50キログラムもあるワゴンを扱い、新大阪 東京間という日本の大動脈を行き来する。大変な仕事ではあったが、毎日がドラマのようでとても楽しかった。
そんなある日、新幹線車内で共に働く車掌が乗客に切符や、乗り換えの案内を懸命に行っている姿にふと、目を奪われた。その手元には、ボロボロになった時刻表と分厚いメモ帳。乗客の質問に答えるため、日々相当な勉強をしているのだという事がひと目でわかった。
窓口で覚えることが盛りだくさん
それをきっかけに、販売員と同じ列車のクルーである車掌に憧れるようになったのだ。その思いは日に日に膨らんでいったが、車内販売員から車掌になる道はない。車内販売員はJR東海の子会社の所属であるが、車掌はJR東海の所属。そもそも会社が違うのだ。
途方に暮れていたとき、友人から「今、JR西日本の駅係員の募集が出ているから一緒に受けよう」と誘われた。そして、無事合格し憧れだった鉄道の運行にかかわる仕事に就くことができた。
最初に配属されたのは、大阪近郊の快速が止まる中規模駅。主にみどりの窓口での業務を担当した。
それまではどちらかというと、鉄道に乗って楽しむだけだった私は、みどりの窓口で駅員がテンポ良く端末を操作し、あっという間に切符が出てくるのを当たり前のように思っていた。
しかし、実際は何の知識もないまま端末を操作する事はできない。操作自体が難しいのではない。切符を発券できても、どういう切符かお客様に説明できるだけの知識がないと意味がないからだ。
鉄道の切符は「旅客営業規則」に基づいて発券される。旅客営業規則とは、鉄道会社と乗客の間で結ぶ契約に関する約款である。
ただ、その規則を初めて勉強したとき驚いた。規則をまとめた本は国語辞典並みにぶ厚かったからだ。しかも、すべての切符が旅客営業規則に基づいて作られているのかといえば、そうでもない。
毎月のように発売される特別企画乗車券(割引きっぷ)は切符ごとに通達がくるのでそれも勉強しないといけない。旅客営業規則についてはもちろんのこと、乗換案内や地理にも詳しくなくてはならない。
駅員はそんなに難しい仕事ではないと勝手に思い込んでいたので、勉強量の多さに何度も挫折しかけた。しかし、大好きな鉄道の仕事ができる。それだけで幸せだった。
自分にしかできない仕事、「鉄道タレント」
そんな駅員の仕事も3年目を迎えようとする頃、ふと自分の将来について考えるようになった。「鉄道の魅力を伝える仕事がしたい、鉄道番組に出たい」 。
大好きな鉄道の仕事を辞める事は、本当に覚悟のいる事だったが「何かに挑戦するなら、今しかない」そう思ったからだ。
勝手に「鉄道タレント」と名乗り、活動していれば誰かが見てくれるのではないか。そう考えてJR西日本を退職し、“自称”鉄道タレントとして活動し始めた。鉄道番組を勝手に作り、ユーストリームで流した。はじめはバカにされることもあった。しかし、認めてくれる人もいて、少しずつではあるがタレントとして仕事をもらえるようになり、1年程で所属事務所も決まった。
そこへ「専門学校の講師をしないか?」という話も舞い込んだ。観光系の専門学校の鉄道科の講師だ。これも鉄道の魅力を伝えるという私の思いにピッタリの仕事だ。今では、講師業もタレント業も4年目を迎える。
実際に鉄道会社で働いたという経験を生かして、自分にしか発信できないもので勝負したい。ここでは自分の経験を交えながら、切符にまつわる記事を書きたいと考えている。
希望通りの職に就けるなんて、うらやましいですよね。
自分も別の職種ながら、希望の職に就けているんだから、愚痴ばかり言っていないで、もう少し頑張らないと…ね。