家事を済ませてからムサシ大感謝祭(?)へ家族と出かける。
おにぎりセット…癒されるんだ〜。
〈私がつくる平和の文化〉第2回 多様性の尊重
2019年2月7日 聖教新聞
連載「私がつくる平和の文化」の第2回のテーマは「多様性の尊重」です。歌手でユニセフ・アジア親善大使、さらに教育学博士として活躍するアグネス・チャンさんにインタビューし、自身の子育ての経験などを通して、「違い」を認め合い、楽しむ大切さを語ってもらいました。(構成=内山忠昭、歌橋智也)
私たちが平和のためにできることは、皆が同じになることでも、それを望むことでもありません。違いを認め合う。尊敬・尊重し合う。互いの文化や考え方を学んで一緒に楽しむ。共に生き、共に栄えようという気持ちで暮らしていくことです。
私が47年前に初めて香港から日本に来た時、さまざまな生活習慣や文化の違いに驚きました。香港の人々が食べ慣れたハトやヘビを、日本人は食べない。それを言ったら「なんて野蛮な!」とびっくりされましたが、あの時、出会った人たちは、今でも大好きな友達ですし、違う文化を持った私を嫌うこともありません。互いに新鮮な気持ちで学び、“あっそうか”って楽しんでいけば友情が結ばれます。世の中は皆、違うからこそ面白く、豊かだ――日本に来て、それを一番実感しました。
違いを楽しみ、受け入れることを、いかに子どもたちに教えるか。それが平和を前進させるカギです。教えていくのは、政府や学校の先生だけでなく、親や地域で子どもたちに接する、私たち一人一人です。“あの人はこう言っているけど、こういう見方もあるよ”と一緒に考えてあげる。また認め合うことが、人間が生きていく上でとても重要で、素晴らしい文化を生み出す根本なんだ、と繰り返し語っていくことです。
違いを楽しめることは、その子自身が幸せを味わえるかどうかのポイントでもあります。物事を柔軟に捉え、好奇心を持っていろんなことを吸収する。違いを発見した時、“オッ?”と感動を抱く。違いは豊かさであり、恵みなんだ。そう感じられることで幸福の度合いは増すと思う。
日本には今後、海外から多くの人が訪れます。自分が世界に出なくても、世界がやって来ます。他の国から来た方と接しても、怖がったり、嫌がったりせず、親しく付き合う。自分の中に壁をつくらず、固定観念や決め付けを排していけるかが、肝心だと思う。
長男に友達ができた頃、彼によく尋ねました。「○○ちゃんって、どこの国の人?」。世界中から来ているので無意識に聞いてしまうんですね。そうしたらある日、彼が言いました。「ママ、なんでいつもそういうふうに聞くの?」
どこの国の出身かという情報で、安心してしまう自分がいました。でも息子は違います。「そんなこと関係ないでしょ? その子がいい子かどうか、何が好きとか、何をよく食べるとか、そういうことが大事じゃないの?」と。
はっとしました。彼の言うことが正しい。人として大切だと。私たちは外見や出身など、本質的でないことにとらわれ、色めがねで見てしまう。すごく反省し、その日から聞くのはやめて(笑い)、相手の人間としての部分に目を向けるよう努めました。
違いは恐れるものでも、なくすものでもなく、尊重するものです。誰もが必ず大切な役目を持って生まれてきています。皆、偉大な力を持っているのです。私の弟は知的障がいがありますが、彼のおかげで家族の絆は強くなりました。94歳の母も「いつも側にいてくれて、一番、親孝行なのは、この子よ」と、感謝を口にしています。
私自身、子育てで重視したことは「自己肯定力」を養うことです。“私は私で、人と比べる必要はない。誰の上でもなく誰の下でもない”との意識を、心の土台に据えるようにしてあげる。長所も短所もある、ありのままの自分を認め、その自分と付き合っていく。それができる子は、人をうらやんだり、差別したりしません。成功している人を見ても、わが事のように喜べる。自己肯定力が低い子はその反対です。何をやっても満足感が得られず、人の成功が面白くない。
また自己肯定力が高い子は大人になっても、分からないことを素直に人に聞ける。学ぶチャンスが多いということは、人生が豊かになるということです。
子どもの自己肯定力を高めるためには、親は、何があっても自分の子どもと他人を比べないことだと思います。
こう言ってあげてください。“ママにとって君は完璧な存在です。人と比べる必要は全くないよ。隣の子が走るのが速いとか、背が高いとか、成績が良いとか、そんなことはママには関係ない。君への愛情は変わらないよ。無条件で、無限に愛しているから。それだけは分かってほしい”と。そして一緒に“一番好きになれる自分”を探してあげる。たくさんの勇気を与えて、「君は君でいい、生まれてきてくれて、ありがとう」と伝えるのです。すぐに信じるかどうかは分からない。でも長い人生の中で無意識に信じ、生きる力になるのです。
池田先生から贈っていただいた長編詩(「平和を! 平和を! そこに幸福が生まれる」)に「人生、それは/幸福になるためにある」とあります。
幸福をつくるのは自分です。そのために必要なのは希望です。希望を決して失わないこと。どんな暗闇でも必ず光は差してくるし、冬が来れば春は必ず訪れます。希望がなければ自分でつくればいいし、自分が希望になればいい。
人を愛する力、人を幸せにする力は誰にでもある。それを信じ、違いを恵みとして楽しみ、互いの存在に感謝していく中に、平和はあると思うのです。
その共通項に立てば、共有すべき“思想”に行き着くはずだ。
それは、生命は尊厳なるものであり、誰にも生存の権利があるということだ。幸福になる権利があるということだ。だから、絶対に戦争を許してはならない。
池田大作
仏法では「桜梅桃李」の法理を説きます。桜や梅などそれぞれの花に美しさや輝きがあるように、人間もまた、一人一人に違いがあり、自分らしく輝いていけるという哲学です。
だからこそ主義・主張も、価値観も違う人々が、ありのままの姿を通して互いに共感し、友情を結べば、幸福も平和も生まれる――そんな信念に貫かれているのが学会伝統の座談会です。
職業も立場も全く違う老若男女が集い、それぞれが一人の人間としての思いを語り、互いの話に耳を傾け、励まし合っています。
以前、ある座談会に参加した時のこと。そこには、子どもたちの詩の朗読があり、赤裸々な婦人の体験があり、戦争体験を通して平和への思いを語る壮年の姿がありました。
会合中、涙を流して聞いていたご婦人がいました。終了後、声を掛けると、彼女は障がいのあるお子さんをはじめ3人の子育てに孤軍奮闘し、つらさを誰にも相談できずに抱えてきたというのです。「きょうは初めて参加しました。こんな世界があったんですね」と語り、学会の温かさや、一人一人が希望を持って前に進む姿に、深く感動しておられました。
池田先生は、「学会の座談会には『対話』がある。『自由』がある。『平等』がある。『哲学』がある。そして『希望』がある」と語られています。
座談会こそ多様性を尊重する「平和の文化」のオアシスです。そして、この座談会は今、世界各地でにぎやかに開催されています。
分かっているけど、フッと忘れてしまう。
だからこそ、こういった文章に触れる機会をもたなきゃ…だなぁ。