それにしても眠れないのだ

日々の眠れない出来事を虚実織り交ぜて

それにしても「色の感じ方を考える」なのだ。

2024-12-13 17:13:13 | Weblog
 文川あや・作「その蒼を、青とよばない」ってマンガを読んだ。内容は、色弱な主人公が一枚の写真との出会いをきっかけに、写真サークルへ入って、自分の色弱を隠すために無難に生きてきた人生から、新しい生き方、自分らしさを表現する事を模索していく・・・ってな感じだ。
 このマンガの中で色の認識の話題(2巻、P76-77)があって、「「自分は絶対みんなと同じ色が見えている」って、誰にも言い切れない」と語られる。例えば、赤と言った時、AさんとBさんは同じ色を差したとしても、もしBさんの感覚を通してAさんが見れたなら、実は青色とか違う色かもしれない。でも、それぞれの認識上では「それが赤」となっているので、コミュニケーションに差異は生じない・・・って感覚。
 この考え方、実は筆者は、20年以上前からたどり着いている。ま、その後に、いつだかどこかの本だか何だかか忘れたけど、何かしらで一回見かけたので、別に特段斬新な考え方ではないのだろう。で、当時はそこで考えが停まっていたけど、現在は、実は『健常者の色の見え方は、“基本”同じ色に見えている』に違いない・・・と考えているのだ。
 というのも、赤、青、黄色があった時、AさんがBさん感覚を通すと、緑、黄、紫って見えるって感覚の違いがあったなら、Bさんが描く色相環は一般的な物とは全然違う、一般的なグラデーションを乱した色並びになるはずだ。でも、そういう色相環を描く人を見た事がない。ま、色相環自体、人生で早々描く事はないのが、この理論の説得力に欠ける点だけど。ただ、アインシュタイン並みの思考実験の成果・・・と考えれば説得力も生まれそうだけど、考察した筆者はアインシュタインの足下にも及ばないので、やっぱり説得力に欠けるのが避けられないのが残念だ。
 ところで虹の色は、日本では7色(赤・橙・黄・緑・青・藍・紫)と認識されている。でも、世界では共通認識にならず、2色(赤・黒)の国もあれば3~7色を経て8色(赤・橙・黄・黄緑・緑・青・藍・紫)の国もあるそうな。その色対応を見ると、日本的には明るい色が暗い色に分類されていたりと不思議さを感じるけど、何となく色盲と考えると納得できる感じもする。ただ、これを見てもやっぱり赤部が青で描かれるみたいなグチャグチャはない。
 ま、そんな感じで、色の感じ方にバラツキはそんなにない!・・・って結論にしたいんだけど、世の中には“共感覚”って物もある。これは、音や文字に色を感じるってやつだ。そして、人によって同じ物でも違う色を感じる事もあるそうだから、こっちの方が研究しがいがあるかもしれない。そこのバラツキのパターンが持つ意味や共感覚の色が実は精神に重要な影響を与えていて、大抵は関知できない物に気持ちが方向付けられている・・・とか何とか。ま、筆者は、オーラも見えなければ共感覚力もないので、その辺は想像しかできないけど。でも、その辺の事を考えていると、色々と興味が湧いてきて、今日は寝るのが遅くなるかもしれない。

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