ナイツ塙が、自分のYouTubeチャンネルで、毎年恒例のM-1グランプリの審査員目線での振り返り解説を今年もしていた。で、それを観ていて、幾つかの点が非常に気になったのだ。
一つは、決勝の三つ巴戦の審査の決め手に関して。決勝では、ネタをやった三組で、審査員それぞれが一番だと思う組に票を入れて、その票数で優勝を競う形なんだけど、ナイツ塙は、令和ロマンと真空ジェシカの二組の面白さは同点で、でもどっちかを選ばないといけないと考えた時、令和ロマンの連覇より真空ジェシカを初優勝させたいと思って、真空ジェシカに票を入れたそうな。何か、引くね。この考え方。個々のネタを審査する時、「普段の方がもっと上手にやっていたけど・・・」とか「もっと面白いネタを持っているのに・・・」とか「会場の盛り上がりが・・・」とか「順番が・・・」とかって、散々ネタを演じたこの場での結果で点を付けていると言っているのに、急に情で点を付ける行為。何年か前にあった「ラストイヤー」が決め手になって優勝が決まった時の、かなりモヤッとしたのに続く感覚だ。
高校生の主人公達がお笑い芸人を目指す事を描いたマンガの「ショーハショウテン」で、ある大会の審査で、ある審査員が「ラストイヤーの3年生を応援してあげたい」「笑いをとるより大事にすべき理念がある」と言う視点でネタを審査した時、別の審査員がその人を睨み付けながら「そんな尺度で評価されて「芸人」が喜ぶわけねえだろ」と描いていた。これが、原作者の意見なのか、取材をした現場で複数人から聞かれた意見なのか分からないけど、強い意志のもとにこの場面を描いたんだろうと、筆者は感じた。・・・って事を、この件で思い出した。
ネットでも、「令和ロマンの二連覇はさせたくなかった」という意見が散見されたけど、そういうアンチ達も「あのネタの面白さは勝つに相応しい」と認める声も同時に見られた。ま、大きなくくりで考えると、好き嫌いが評価に影響するするのは避けられない事なんだけど、審査員は極力情を排除し、お笑いの要素の中で審査をして欲しい限りだ。
一つは、ネタ中の“動き”に関するコメント。真空ジェシカ川北の挙動を「あんなの学校で教えられない」「センスなんだ」と、ベタ褒めしていた。これは、別にM-1関係ないんだけど、実に衝撃を受けた。お笑い芸人を目指す人の多くは、お笑いの養成学校へお金を出して教えを請うために行っているのに、面白さを作り出す重要な要素である“動き方”を教えてもらえないとは!養成学校って、ネタ見せ授業で、まだまだ笑いやお金を取れないレベルのネタを、どこがどうダメだからどうすれば良いっていうのを教えてくれる場所じゃないの?「センスだ!」で終わられたら、学校行く意味全く無いでしょ。
主人公達がお笑い芸人になる事を描いたマンガの「べしゃり暮らし」では、お笑い芸人養成学校のネタ見せ授業で、大抵の生徒は講師のアドバイスが全く心に響かず、なんなら反感を抱いていた。しょせんまだまだ素人の考えと、その道に何年も従事してきた人の考え、どちらが正しい可能性があるかって言ったら、当然後者だろう。経験が浅すぎるが故に、深いアドバイスの有用性に気付けないって事もあるだろう。
女芸人No.1決定戦の“THE W”の審査員は、コメントで当たり障りのない事を並べとけば、ギャラに見合った仕事をしたと言えよう。でも、養成学校の講師(先生)は、全体的につまらない、程度が低いと言われがちなTHE Wにすら届かないレベルのどんなスタイルのネタであっても、何が足りていないかちゃんと指摘し、更正アドバイスを的確に出さなければならないはずだ。正直、THE Wの審査員より遥かに難しい仕事だろう。でも「センスを磨け!」なんて突き放す事は言っちゃあいけない。「こうこうこういう風にやったらセンスが磨ける」と教えないと。
仕事の現場でも、成果物に対してダメ出しだけして終わってしまう上の立場の人が大勢いて、じゃあどうすれば良いのかと聞くと「それを考えるのがお前の仕事だ!」と更に怒る。いや、こっちが聞きたいのは、答えその物じゃなくて、ダメ出し個々はそれぞれどういう理由でダメで、あなたが何を求めているのか方向性を示してほしい・・・という事なのだ。ま、こういうダメ出しだけする人は、ほぼ確実に現場から嫌われるね。・・・なんて感じで、仕事の愚痴も浮かび上がりつつ、全然知らないお笑い養成学校の事が気になってしまった。
あー、まだ二つしか気になった事をあげてないし、他の審査員達の考え方も並べてみたい所だけど、長くなっちゃったんでもう止めよう。これ以上調べて書いていたら、今日は寝られない事になってしまいそうだからだ。
一つは、決勝の三つ巴戦の審査の決め手に関して。決勝では、ネタをやった三組で、審査員それぞれが一番だと思う組に票を入れて、その票数で優勝を競う形なんだけど、ナイツ塙は、令和ロマンと真空ジェシカの二組の面白さは同点で、でもどっちかを選ばないといけないと考えた時、令和ロマンの連覇より真空ジェシカを初優勝させたいと思って、真空ジェシカに票を入れたそうな。何か、引くね。この考え方。個々のネタを審査する時、「普段の方がもっと上手にやっていたけど・・・」とか「もっと面白いネタを持っているのに・・・」とか「会場の盛り上がりが・・・」とか「順番が・・・」とかって、散々ネタを演じたこの場での結果で点を付けていると言っているのに、急に情で点を付ける行為。何年か前にあった「ラストイヤー」が決め手になって優勝が決まった時の、かなりモヤッとしたのに続く感覚だ。
高校生の主人公達がお笑い芸人を目指す事を描いたマンガの「ショーハショウテン」で、ある大会の審査で、ある審査員が「ラストイヤーの3年生を応援してあげたい」「笑いをとるより大事にすべき理念がある」と言う視点でネタを審査した時、別の審査員がその人を睨み付けながら「そんな尺度で評価されて「芸人」が喜ぶわけねえだろ」と描いていた。これが、原作者の意見なのか、取材をした現場で複数人から聞かれた意見なのか分からないけど、強い意志のもとにこの場面を描いたんだろうと、筆者は感じた。・・・って事を、この件で思い出した。
ネットでも、「令和ロマンの二連覇はさせたくなかった」という意見が散見されたけど、そういうアンチ達も「あのネタの面白さは勝つに相応しい」と認める声も同時に見られた。ま、大きなくくりで考えると、好き嫌いが評価に影響するするのは避けられない事なんだけど、審査員は極力情を排除し、お笑いの要素の中で審査をして欲しい限りだ。
一つは、ネタ中の“動き”に関するコメント。真空ジェシカ川北の挙動を「あんなの学校で教えられない」「センスなんだ」と、ベタ褒めしていた。これは、別にM-1関係ないんだけど、実に衝撃を受けた。お笑い芸人を目指す人の多くは、お笑いの養成学校へお金を出して教えを請うために行っているのに、面白さを作り出す重要な要素である“動き方”を教えてもらえないとは!養成学校って、ネタ見せ授業で、まだまだ笑いやお金を取れないレベルのネタを、どこがどうダメだからどうすれば良いっていうのを教えてくれる場所じゃないの?「センスだ!」で終わられたら、学校行く意味全く無いでしょ。
主人公達がお笑い芸人になる事を描いたマンガの「べしゃり暮らし」では、お笑い芸人養成学校のネタ見せ授業で、大抵の生徒は講師のアドバイスが全く心に響かず、なんなら反感を抱いていた。しょせんまだまだ素人の考えと、その道に何年も従事してきた人の考え、どちらが正しい可能性があるかって言ったら、当然後者だろう。経験が浅すぎるが故に、深いアドバイスの有用性に気付けないって事もあるだろう。
女芸人No.1決定戦の“THE W”の審査員は、コメントで当たり障りのない事を並べとけば、ギャラに見合った仕事をしたと言えよう。でも、養成学校の講師(先生)は、全体的につまらない、程度が低いと言われがちなTHE Wにすら届かないレベルのどんなスタイルのネタであっても、何が足りていないかちゃんと指摘し、更正アドバイスを的確に出さなければならないはずだ。正直、THE Wの審査員より遥かに難しい仕事だろう。でも「センスを磨け!」なんて突き放す事は言っちゃあいけない。「こうこうこういう風にやったらセンスが磨ける」と教えないと。
仕事の現場でも、成果物に対してダメ出しだけして終わってしまう上の立場の人が大勢いて、じゃあどうすれば良いのかと聞くと「それを考えるのがお前の仕事だ!」と更に怒る。いや、こっちが聞きたいのは、答えその物じゃなくて、ダメ出し個々はそれぞれどういう理由でダメで、あなたが何を求めているのか方向性を示してほしい・・・という事なのだ。ま、こういうダメ出しだけする人は、ほぼ確実に現場から嫌われるね。・・・なんて感じで、仕事の愚痴も浮かび上がりつつ、全然知らないお笑い養成学校の事が気になってしまった。
あー、まだ二つしか気になった事をあげてないし、他の審査員達の考え方も並べてみたい所だけど、長くなっちゃったんでもう止めよう。これ以上調べて書いていたら、今日は寝られない事になってしまいそうだからだ。
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