昨晩からNHK大河ドラマ「真田丸」が始まった。時は天正10年(1582年)、名将武田信玄の死から9年後、武田家の滅亡を描くところから始まった。NHKは年末年始にかけてこのドラマを大々的に宣伝し、タモリや笑福亭鶴瓶などを動員し、真田幸村ゆかりの地を、ブラタモリ風に訪問させこれはこれで面白かった。
当方歴史や太平記などに疎いし、隣の県とはいえ長野は広いし、縁のない地で真田家の上田市は、どこら辺にあるかさえ分からなかった。早速ネット地図や、真田丸のサイトを調べて本放送を待った。
”時は群雄割拠する戦国時代、武田家は四囲から攻められ存亡の危機にあり、その武田家の家臣だった真田家は、当主の昌幸(草刈正雄)、長男の信幸(大泉洋)、主人公で後に幸村と呼ばれる次男の信繁(境雅人)が中心となり結束、混迷の時代へと一歩を踏み出す” 第1回は真田丸の「船出」だった。
私は飛騨の地の出ではあるが、血統は戦国大名・小田原城主・北条家の北条氏政の末族か家来だった兄弟3人が、北条家を豊臣秀吉に滅ぼされ、飛騨に流れ着いて先祖になったと町史にもある。子供の頃も盛んに一族の名字の由来や、一族の集団墓地などの由来を聞いてきた。家紋も北条家の「三鱗(みつうろこ)」であり、村の鎮守は「富士浅間神社」といい、北条早雲が仕えた駿河の国・今川家の縁で今川家の守護神・富士浅間神社の御神体を奉戴して祀ると町史にある。
脱線したが、真田丸はこの人物相関図に北条氏政も連なるらしいので是非、今度は毎週見なければならない。
それに「真田丸」のドラマの題字を、前宣伝で大衆の前で、戸板のような生乾きの土壁に流麗に書いて見せてくれた人の名をどこかで聞いたなぁと思ったら、飛騨高山市の左官「挟土組(はさどぐみ)」の挟土秀平氏だった。(挟土組は父親の会社・秀平氏は「職人社 秀平組」)
帰省した際にときどき、ここがNHK番組でよく紹介される挟土組かと見て通る。前宣伝では土壁に一気一発書きし、なかなかの達筆だった。さすがだ。
PCの壁紙にどうぞと宣伝しているのでいかが。
それに大河ドラマでは初めてと言っていた、ヴァイオリンのテーマ音楽もいいねえ。