たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

デビッド・ボウイさん逝く

2016年01月17日 | 音楽

私は彼が亡くなる報道まで英ロック歌手、デビッド・ボウイさんは全く知らなかった。朝日新聞は彼が69歳でガンで死亡したと大きく報道し、次の日は哀悼特集を組んだ。
・デザイナー山本寛斎さん(デザイナー:ステージ衣装を依頼された)
・横尾忠則さん(美術家:画集に興味をもってくれ「パンク」と評した先駆者だった)
・巻上公一さん(音楽家:評論 滑らかで艶のある低音とけいれんする天上からのファウルセット”俗に裏声、天上からのシャウト”叫びと評価)
以上3氏の「デビッド・ボウイさんを悼む」追悼文を掲載した。

さらに次の日、ニューヨーク特派員からの記事「ボウイさん お別れの贈り物」という記事で、“「私は天国に」ーー遺作の歌詞に注目“ と、10日に死去した死の直前に発表したシングル 「ラザルス」とアルバム 「★」(ブラックスター)(と読む)が改めて注目を集めていると報じた。それが上と下の2曲である。

所属するソニー・ミュージックは追悼文を載せている。そこにも「ラザルス」が紹介されている。ラザルスの歌い出しは「上を見てごらん、私は天国にいる、私は見えない傷跡を負っている」、曲の最後は「ああ、私は自由になる、いかにも私らしいだろう」と。ボウイさんがクローゼットに入り、内側から扉を閉める画像で終わっている。

David Bowie - Lazarus

彼の69歳の誕生日だった8日に公開された「★」は、ほかにも死を意識したと思われる歌詞が多く、インターネットではファンがその意味を巡って議論を交わしている。と。
長年彼と活動したプロデューサーは、フェイスブックで「彼の死は彼の人生と全く変わらなかったーー芸術作品だった。彼は「★」を私たちのために、お別れのギフトとして作った。このようになると1年前から知っていた」と投稿した。と載っていた。
なるほどと頷ける画像だったので貼ってみた。閲覧数はすぐ億単位に達するだろう。

David Bowie - Blackstar

ここまで哀悼されると気になって、映画「人生の約束」を見た後、CDショップ「HMV」へ寄ってみた。2枚のCDがそれぞれ3枚ほどづつ平置きで置いてあった。
「ヒ―ザン」(heathen:異教徒)2002年作品、と「リアリティ」2003年作品の2枚だった。2枚も買えないので受付へ行き、ベストアルバムでもないか検索して貰ったが見つからなかった。
店員は「亡くなってから最近よく出ます。私の親の世代のファンが多いです」と言っていた。「リアリティ」のレーベルには傑作「ヒ―ザン」につづきその翌年にリリースされた・・云々とあり、「ヒ―ザン」を購入して帰った。
「ヒ―ザン」は案に相違してロック調でなくバラード調の曲が多く、車を静かに走らせるBG音楽にはいいようだ。「ヒ―ザン」のレーベルには”異教徒であり続けたボウイが放つ黄金期の再来を感じさせる自信作という書き出しだった。


スキー格安バス、またも大事故

2016年01月17日 | その他

長野県軽井沢町の碓井バイパスのバス事故は大変な事故になりました。15日の朝のテレビですぐ速報を目にし、その後喫茶店へモーニングに行きました。馴染みのお手伝いさんに「長野県で大変なバス事故があったね」と話しかけると、彼女は「3人死亡、11人が心肺停止って言ってるけど、どう違うのかしら?」と問いかけた。「どの道14人亡くなったということだろうね」と彼女は多忙なのでうち切った。詳しくは話し合わなかったが、死亡は医師が死亡を確認し「死亡診断書」が発行された数、心肺停止は救急隊員からみて絶望であるが、医師の診断が未だであることを言うのだろうと想像した。後でネット検索すると詳しく解説したブログにそのような内容の記事があった。

16日は後から来た男性客2人が座るなり「皆、若い人達ばかりでかわいそうだ」と聞こえてきた。当日はスポーツ報知の事故関連の記事を読んでいる最中だった。
「バスはなぜルート変更したのか謎にせまる」、という内容だった。その他にも中日本自動車短大の安全工学の専門家へも取材し、・時速80キロは出ていただろうと推定されること・運転手が瞬間的に居眠りして左側ガードレールに最初の接触をしたか?・何か動物でも飛び出して避けようとしたのか?など、当の運転手と交代運転手も死亡したので、真相は謎だとの記事だった。

新聞各紙とテレビなど報道で犠牲になった学生たちの在学校は、
法政大3人、東京農工大2人、早稲田大3人、東京外語大1人、東海大1人、首都大東京1人、広島国際大1人 学生計12人+バス運転手65歳、交代運転手57歳 合計14人
年齢は19歳6人、21歳2人、22歳4人 計12人+2人 合計14人
お名前と写真から想定 女子学生は4人
死亡14人+重体2人+重軽症25人 (乗車していた人数は39人+乗務員2人=41人)
センター試験準備で各大学が休校になっていたのがアダになったとある。
いずれにしても未来ある若い著名大学の学生さんが亡くなったことが悲しい。ご冥福を祈りたい。

1968年8月 国道41号線・白川町の飛騨川へ集中豪雨の土砂崩れで観光バス2台が飲み込まれ104人が死亡したわが国最大のバス事故の時は、ご遺体が運び込まれる美濃加茂市に住んでいた。
木曽川沿いの集会所が遺体仮安置所になっていて、担架に乗せられて次々運び込まれる遺体をこの目で見た。まだ長男が幼く自転車のチャイルドシートに乗せ見にいった。
これは大事故と転落現場へ行こうと川辺町まで10キロほど行き、諦めて帰宅した思い出がある。転落現場には慰霊碑「天心白菊の塔」が建ててある。

【1968年8月18日】 飛騨川バス転落事故 佐藤首相も追悼

伊勢神宮初詣や東建ホームメイトのゴルフ観戦で三重交通のバスにお世話になるが、・立派なバスが多いこと・乗務員が親切で安全運転すること・乗り場には主催者の案内係任せにせず自社の案内係を常駐させている、などいつも感心する。
しかし三重交通も1985年長野市の国道19号線でスキー客を乗せたバスがガードレールを破り、犀川ダム湖に転落し学生を主体に25人が死亡する大事故を起こしている。その経験が今の安全体制に生きているのであろうといつも思う。