たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

お逮夜

2016年04月27日 | 日記

3月末の姉弟旅行中の新幹線車内と降りた直後に聞いた、幼な友達の同級生と、従兄弟のご逝去から早いもので明日が、五七日忌(三五日忌、5×7=35)を迎える。最近は49日忌より35日忌で行うことが多く、それが終わると遺族は忌明けである。

忌日(いみび)は亡くなった日を入れて7日ごとに初七日、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、七七日49日となり、それぞれ供養の法要を行う。各7日および命日の前日を逮夜(たいや)という。宗派によっては忌日より逮夜を重く見る宗派もある。昔、級友と訪ねた京都府宇治市にある、唐風の黄檗宗大本山万福寺にお参りした際、たくさんのお坊さんが行列してお経を称え回廊を回って法要しておられた。式が終わって一人のお坊さんにお聞きしたら、開祖の命日の前の日のお逮夜だと説明された。

仏教の世界では、人は死後49日間にわたって、あの世とこの世の中間の世界である”中有”(ちゅうう)を、さ迷い、49日目にようやくあの世に達すると考えられている。そして、その49日間に”7つの関門”を超えなければいけないとされる。それが7日ごとの法要なのだ。(「いまだから求められる”仏教”早分かりエッセンス辞典」現代仏教を考える会編 土屋書店)

今夜はご縁の深かったお二人のお逮夜なので心から念仏申し上げる次第です。去る者は日々にもって疎しで、もう忘れるところでした。

「去者日以疎」 「去る者は日(ひび)に以って疎(うと)し」 無名氏「古詩十九首・漢」  

去る者は日に以て疎く
来る者は日に以て親しむ
郭門(かんもん)を出でて直視すれば
但(た)だ丘(きゅう)と墳(ふん)とを見るのみ
古墓は犁(す)かれて田と爲り
松柏は摧(くだ)かれて薪と 爲る
白楊 悲風多く
蕭蕭(しょうしょう)として人を愁殺す
故里(こり)の閭(りょ)に還らんと思い
帰らんと欲するも 道 因(よ)る無し 

別れて去りゆく者は、日ごとに忘れられ、
通い来る者は、日ごとに親しまれる。
(略)
はこやなぎに吹く秋風もひときわもの悲しく
さらさらとした葉音までが、人を深くもの思いに沈ませるのである。
そんなときには、そぞろに故郷が恋しくなって帰りたく思い、
いざ帰ろうとするけれども、今はその道さえ閉ざされてしまった。

それにしてもあの温厚な従兄弟が、老人性うつになり、希死念慮になり、玄関上がりたてに「今日は都合によりデイサービスは欠席します」と置手紙し、居間の食卓には家族に宛て(葬儀は家族葬で、婿の〇〇にすべて頼むこと、たいした財産は残せなかったが、家族で等分に分けること)などと書置きを残していたという。検死は事件性も綿密に調べられ、地元署だけでなく県警本部からも出張され時間がかかり、お寺さんの枕経のお勤めも待たされたという。兄や姉が旅行から帰って手荷物だけ置き、駆けつけた夜11時少し前、枕経がようやく済んだ後だったという。

二人ともいい後世でありますよう祈るお逮夜です。


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