本当に久しぶりの再開であった。漠然とした待ち合わせ時間にもかかわらず早めに到着したボクは喫茶店でカフェラテを頼み、単行本を読みふけっていた。あまりにも没頭してた為、携帯電話が鳴ったのも気が付かず、留守録になったところであわてて通話ボタンを押した。懐かしい声が聞こえて、ボクはそのまま会計を済ませて表へ出た。
O氏はボクの社会へ出たとき最初に出会った先輩である。顔と態度がでかく、当時の上司よりも偉そうに見えた。彼から教えてもらったことは、仕事のサボり方と余暇の過ごし方だ。仕事の印象はほとんどない・・・とは言え、今から思えば、電話対応の仕方、上司への言い訳の仕方、接客方法等真似して覚えていったんだろうと思う。その後、O氏は家業を継ぐため会社を辞め、早々に嫁さんをもらって家庭人となっていった。各言うボクもその後を追うように転職し、嫁さんをもらうことになり、なんとなく人生も真似しているような結果となっていた。その後お互いに仕事やら家庭やらで段々と疎遠になり、年賀状だけの付き合いはかろうじて続いていた。何度となく彼の家の近くを通ってみたり、電話をしてみたりしたが会話することもできず、更にそれすらのしなくなって月日だけが過ぎてしまっていた。
再会のきっかけはまったく彼らしいものであった。年賀状にメールアドレスらしきものが印刷されているが、およそ普通の視力の人には見えないサイズである。最高に視力が良くても見えないであろう。なんとか連絡してみようと躍起になって解読した。400万画素のデジカメでマクロ撮影してパソコンで拡大してみる。もうプリンタのドットまで見えるくらい拡大して、考えられるアルファベットを組み合わせてメールしてみた。6通目でエラーが返ってこなかったのでヒットしたのかもしれない、と思い、あとは返事を待つことにした。
そんな感じで少々さびれた居酒屋で再会を祝した。何から話したらいいのか迷うかと思ったが、お互いに近況を報告し合い、悩みだとか喜びだとか、それこそ凝縮された時間を爆発させるかのごとく喋り合った。最後に会ったのはいつなのかもわからないまま、なんとなく10年位にしとくか、という雰囲気がまた笑いを誘う。でもこの10年位の間にお互いいろんなことがあった。疎遠であったにもかかわらずなんとなく似たような出来事にボクは一つの結論を出したのだけれども、彼はまだその渦中にいることがわかった。顔に刻まれたシワは年輪だけではないな、という思いが廻ってくる。
そんなO先輩が少年のような目で言うのだ。自転車で和歌山の空を見に行きたいと。なんでも渦中(≠火中)の栗は和歌山産らしく、その空がとても綺麗らしい。それをわざわざ自転車で見に行くというのだ。馬鹿げた話ではあるが、まるで片岡義男の小説を読んでるようなその少年らしさは相変わらず彼らしさを感じずにはいられなかった。空を見たって何が解決するわけでも空腹が満たされるわけでもないのに。偶然和歌山の空が写った写真があったので載せてみたが、きっとこれじゃ満足できないんだろうなぁ。
夜も更けた時にさりげなくタクシーを手配してくれて、ボクは家路に付いた。彼らしい演出だと思った。遠慮なくおごってもらった。家に着いたときには何故か涙が止まらなかった。声を出して泣いてしまった。そんな綺麗な空ならばボクだって見てみたい。
もうあまり乗らなくなった玄関に置きっぱなしの自転車を見つめながら、天気が良い日に手入れしてみようと思ってしまった。O先輩、あんた割と無茶するからさ、誰か注意してやんないと危ないよ。和歌山の空を見にチャリで行くなんて馬鹿げた話、誰も付き合ってくれないよ。しょうがないな、あまり気乗りしないけど、少し遠乗りでもしてみるかな・・・