親不孝通りの名称復活と聞いて、懐かしく思いました。ひろみです。
西通りの先の、親富孝通り。私の大学生の時は、親不孝通りと言っていました。当時、水城学園や九州英数学館などの予備校が長浜、親不孝通りを抜けると有り、そこから名付けられた名称で、若者の飲み屋街でした。その通りの中でもマリアクラブという大型のディスコが当時すごく流行っていました。その隣は、確かベルサイユパレス、それからマハラジャに変わって…そっから先は、競技ダンスの世界にどっぷりつかっていたのでわかりません。
私の中では、中洲は、大人が行くところ、親不孝と西通りは、若者が行くところというイメージでした。
この2、3年、そういえば、西通りまでしか行ってなかったけど、名称復活で、華やぐといいですね。
数年前行った時は、小さなクラブが増えていて、外人のバーとか、箱がいくつかありました。とりあえずはしごしてマリアクラブがあった付近を探索していると、おたくっぽい人たちが集まっているイベントやっていて、みんな首振っていました。ヘビメタっぽい感じ。居酒屋は、変わってないところも結構あって、インドカレーのナーナックも健在でした。
マリアクラブは、高校の時に、みんなが行っていましたが、大学デビューだった私は、大学生になってから、ダンス部の先輩に連れて行ってもらいました。中学校の時、好きだった人が、キャッツというクラブによく踊りに行っているという噂を聞きつけて、大学に入ったらダンスを習おうと密かに計画していましたが、入ってしまったサークルが、競技ダンスのサークルだったので、クラブでかっこよく踊るのとは、かけ離れてしまいました。(笑)
かっこよく踊れるようになったら、クラブに行って誘ってもらおうと思ってたんですけどねー。
横瀬先生は、学生の時、マリアクラブで、チャチャチャを踊ってたという伝説が…。ダンス部の人と行くと、クラブでも社交ダンス踊るから、…恥ずかしい。
ダンスホールも、福岡ではなくなってしまったけど、大型ディスコも小さなクラブに変わって行って、踊る系はなくならないと思うけど、形態は、これからも時代とともに変わって行くんでしょうね。