1. 「大同」が残したもの
大同染工(株)は 1942年7月、戦時中の「企業整備令」により、京都地区の主な捺染工場7社が統合し設立。1970年5月、京都晒染工業(株)と合併し社名を『大同マルタ染工(株)』と改称。2008年3月、工場閉鎖。わずか66年の歴史しかなかったが、戦後の日本経済を支えた繊維産業の輸出捺染工場として、すぐれた設備・技術・意匠力を備え、日本を代表する最大手の機械捺染工場であった。
会社が ツブレ、大同の痕跡は 8年前何もかも無くなった。唯一、奇跡的に残ったのが『大同コレクション』ですが、これとて肝心の大同製品はほとんど無い。1960~70年代の輸出最盛期、アフリカへ輸出していたワックス・カンガは、沢山の柄をローラー捺染機で毎月百万米以上生産していた。同じ頃、バット染料を使い欧米豪州に輸出していた初期の素晴らしいスクリーンプリントは全く見つかっていない。
当時、大同染工は短繊維日本一の捺染工場で、その輸出比率は 上場会社 1,094社中、日本の輸出ランキングトップに挙げられていた。(1964.5.経済雑誌「プレジデント」)。輸出するためにはそれだけ沢山の 柄 デザインが必要であった。そのため商社と共に世界中からプリント見本を集め、新柄をおこしていた。工場閉鎖時、なにもかも廃棄してしまった中で、この世界中から集めた見本の一部が見つかった。それら見本は、当時の貴重な世界中の意匠デザインが集約されていた。 オランダ製その他の リアルワックス、ジャワプリント、イミテーションワックス、カンガ、ファンシイプリント などのアフリカンプリントばかりでなく、バチック、サリー、イカット、タバ、モラ、アロハ、その他中南米の民族衣装など341点。
大同無くなってから3年経って、大同マルタ会がこの貴重な資料を調査・分類し、寫眞集を作り、学界に働きかけた。その結果、更に3年たって 京都工芸繊維大学 文化遺産教育研究センターでとりあげられ、『”京都からアフリカへ”大同コレクションに見る1960年代京都の捺染産業』と題する展示会が、京都工芸繊維大学 美術工芸資料館で開催された。『大同コレクション』は、更に個人から集めた生地見本、技術文書・ノート、大同染工会社資料・工場写真、大同捺染カレンダー(1984~1995)などを追加し、全部京都工芸繊維大学 美術工芸資料館 に寄付し、大学研究室で、機械捺染の研究に役立てて頂くことになった。
「大同」の染色加工技術は業界で最も評価が高かつた。集めた見本も質の高いプリントが揃い、価値のある『コレクション』である。
ここ50年 時代が急激に変り、反応染料が出てきて 染法は全部これに変わり、誰でも簡単に染色できるようになった。捺染は更に「インクジェット捺染」で即、コピーでプリントが可能になり、染色技術は大学で研究する対象ではなくなった。我々が学んだ色染学科はとっくに無くなっている。 しかし今、学界の美人の先生方が消えかけている「染色加工」を、加工技術面ではなく、デザインその他の面から、「機械捺染の歴史」などの研究をされている。大同で唯一残った『コレクション』が、今後の研究の役に立ち、これからも「大同」の存在に光が当たるよう、協力していきたい。